希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「持たない者」が実は最も強い件

この資本主義社会では「持てる者」が勝者であり、最も利益を享受できるとされている。

資産であり社会的地位であり持てる者がわが世の春を謳歌できるとされていて、僕たちは持てる者になろうとがむしゃらに働くように仕向けられている。

 

持てる者になると幸せか、というとそうとは限らないのがこの世の不可思議なところであり、世の無常である。

自分の資産や地位がいつか失われるのではないかという不安が付き纏い、それらを守るために常に突き進まなければならない。

例えば失業したり収入が下がったりしても、自分の家を失いたくないばかりに無理を重ねて(借金が増えるなど)、にっちもさっちもいかなくなるケースが多い。

自分の地位や役職を手放したくないとの思いから、会社にしがみつき、不毛な社内政治ばかりに心を傾けることにもなる。

 

一方で「持たない者」に対する社会的な評価は低いものとなる。時として向上心や努力が足りないだの能力が低いだのと揶揄されることになる。

この社会ではカネを稼ぐ能力が低い者や資産構築能力が低い者は無能だという烙印を押される。

 

しかしながらである。

「持たない者」が不幸だとは限らない。

資産や社会的地位などは仮初のものだと捉えて、それらに拘らずにマイペースで生きていくことができればこれほど精神的に楽なことはない。

カネは天下の回りモノだと、のほほんとしていれば、無理して馬車馬のように働く必要もなくなる。社会的な評価に無頓着であれば、つまらないしがらみからも自由になれる。

 

以前に知り合いの債権回収の仕事をしている人から聞いた話がある。

公務員や大企業の社員からは借金は容易く回収できる。だから信用があり、カネを貸しやすいのだと。彼らは社会的信用の失墜を極度に恐れて、無理をしてでも借金を返すらしい。

他方でカネや資産が無くて開き直った債務者が一番タチが悪いということだった。彼らは失うものが無い。取り立てる側としても、そういう手合いにかかるとどうしようもなくなるのだ。最もそういう「人種」はごく少数派であるので金貸し業はどうにか成り立っているという。

「無い袖は振れない」と開き直って、逆に金貸しより優位に立つような気概があれば、借金地獄には陥らないということである。

 

この社会は豊かになっている。それに伴って多くの人たちが「持てる者」になっている。そのこと自体は結構なことだ。しかし引き換えに身動きが取り辛くなっていることも確かである。

 

無理をしてでも「持てる者」になることはない。

ある意味において「持たない者」であれば生きやすい面も多々ある。

「持たない者」としての生き方もありだという考えに至れば楽しく生きられるかもしれない。

 

人は何一つ身に纏わず生まれてきて、この世にあらゆるモノを残して、ひとりで、身一つで死んでいく。

財産や地位や名誉など、この世の幻なのだ。