希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

つまらない仕事でもやり続けなければならないのかという件〈改題・再掲〉

つまらないものはやはりつまらない。

この当たり前のことを仕事では言い切れないところにやるせなさを感じる。

初出 2014/2/2

 

「石の上にも三年」ということわざがある。

結構日本人好みの言葉である。何事も続けることに意味があるのだと言いたいのだろう。

 

たとえつまらないと思えるような仕事でも、それを続けることによって面白さが分かる、と上司や先輩から説教を受けたことがある人は多いのではないだろうか。

 

下積み的な仕事や雑用等の経験が将来の仕事に役立つこともある。また将来につながると考えなければやってられない。

今担当している仕事が自分に合わないと思っていても、やり続けていくうちに面白くなりその道のプロになることもある。

しかし、そのようになるのは一部の幸運な人たちではないだろうか。多くの人たちは妥協し、悪戦苦闘しながら面白くない仕事や自分に合わない仕事をこなし続けているのだと思う。生活のためには贅沢は言えない、我儘は言えないと自分に言い聞かせながら。

 

自分の「天職」ともいえる仕事に巡り合うことは難しい。自分の天職が何なのか分からない人も多い。多くの人たちは自分なりの妥協点ー職場の人間関係、給料、勤務地等ーを見つけて、その仕事をし続けている。

自分に合う仕事を追い求めて転職を繰り返してもなかなか完璧にマッチした仕事は見つからない。結局は上述のように一定の妥協点を見出して落ち着くことになる。

 

かつては一つの会社に勤め続けることが良しとされ、嫌な仕事でも我慢して続けることによってある程度の見返り(安定収入、昇給や昇格)が期待できた。今はこの考えも少し変わってきている。終身雇用が保障できなくなった。

転職市場が形成され、転職することは珍しくなくなってきた。我慢し続けるくらいなら、転職した方が良いと考える人たちが増えてきているのは当然のことである。

 

日本の会社は(特に大企業は)「我慢合戦」を求める傾向にある。各社員の希望や適性を重視することよりも、会社のために何でもするという働き方を求めている。全く性質の異なる部署の異動も厭わず、単身赴任や遠隔地の転勤も受け入れる社員が望ましい。このようにどのような処遇も受け入れる態度も「能力」だと捉えられているのだ。引き換えに「大企業・有名企業の社員」というブランドを手に入れる。

 

僕は人それぞれの仕事観や人生観があるので、有名企業の正社員という身分にこだわるのもありだと思う。一方、無名企業で自分に合った仕事や好きな仕事を精一杯やり遂げるのも立派なことだと思う。

 

僕はやはり嫌な仕事や自分に合わない仕事はやりたくない。

嫌なことはいくら続けてもやはり嫌なままだと考えるからである。

嫌な仕事、自分に合わない仕事をイヤイヤ続けるのは精神衛生上よくない。

興味を持てる仕事、面白さがある仕事をしたい。

これはわがままなことだろうか。

 

僕は未だに自分の天職が分からない。

僕の天職を見つける旅はまだ続いている。