希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

仕事をすることで成長し、自己実現が図れるというのは幻想だという件〈改題・再掲〉

この国では人生の大半を働くことで占める生き方が良きものとされている。

仕事が生きがいという価値観が肯定されている。

たかが一営利企業の利益を出すことが生きがいなんて貧しすぎないか、と僕は思ってしまう。

僕は繰り返し仕事をすること、働くことは人生の一部に過ぎないと述べてきた。この考え方はどうもこの社会では少数派のようだ。

初出 2014/1/15

 

著者の名前は忘れたが、人は仕事によってのみ成長するという趣旨の本が売れているらしい。

経営者の書いた自己啓発本なんだろうが、僕は全く興味が無いので、立ち読みすらしなかった。読まずに批評するのはフェアではないので、ここではその本の批評はしない。

 

僕が引っかかったのは、本当に人は仕事のみで成長するのかということである。

 

結論から先に言おう。

時として仕事によって成長することもあるに過ぎない、と僕は考えている。

人は他者との交流を通じて成長するものだし、また自己を深く掘り下げて内省によって成長するものだ。仕事以外によって成長することは多々あるものだと思う。

 

仕事をすることによって自己実現を図り、自分を成長させようという言説は以前から繰り返して自己啓発物を中心にして展開されていた。手を変え品を変えてベストセラーを生んできた。

この手のものは取っ付きやすいし、つまらないと感じている仕事に就いている人たちのガス抜きにもなる。

一見つまらないと思われる仕事にも「やりがい」はあり、続けていると成長するんだよ、と悪魔の囁きをしているように僕は感じる。

つまらない仕事はやっぱりつまらないものだし、生活を守るため(カネを稼ぐため)に仕方なく働いているという人が多いのが現実である。この現実から目を逸らせるために、「やりがい」や「成長」「自己実現」を持ち出して、会社(組織)に従順な人たちを囲い込んでしまおうという魂胆が見えてしまう。

 

人は仕事によってのみ成長するという考え方は、経営者にとっては誠に都合の良いものである。成長することなんて嫌だという人なんて殆どいない。そこにつけ込んで、成長を前面に押し出し、労働条件(給料アップや労働時間短縮)には蓋をするのである。労働者に対して際限なく労働強化を強いることにもなりかねない。

 

労働者にとっては少しでも給料が上がること、労働時間が短くなることによって生活の安定・充実を図ることが最優先であり、成長なんて二の次のはずである。しかし、この本音を広言すると「意識の低い」人間だと蔑まれる風潮が最近になって生まれてきているように感じる。このことも正に経営者の思う壺である。

 

そもそも人が成長するというのはどういうことなのか、曖昧模糊としている。

おそらく広い視野を持つこと、他者との共感力が高まること、問題解決能力が高くなることなどが挙げられよう。これらは別に仕事を通じてではなくても得られる力である。

 

「成長」に重きを置くと、仕事が(労働が)神聖視されるおそれがある。

 

仕事は所詮仕事だし、労働者は所詮労働者なのだ。

 

仕事は生活の糧を得ることが第一義で、成長なんて付録だと、醒めた目で見る態度も必要なのでは、と僕は思っている。