希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

すべての仕事は社会に役立っているのは妄言だという件

どのような仕事でも社会に役立っていて、不要な仕事などない、とよく言われている。

これは「職業に貴賎はない」という言説と同様に建前論であり、決して真実ではない。

 

確かに資本主義体制下で消費社会を維持発展させるためという但書きをつければ、ほとんどの仕事は社会に役立っているといえる。

要するにカネを生みカネを動かす仕事が資本主義社会では役立つ仕事なのである。

 

しかしながら、すべての仕事がもたらすものが僕たちの生活を潤し、精神的な安息をもたらすものだと言い切れるのだろうか。

反社会的なあるいは人倫に反するような側面を持つ仕事も多いのではないだろうか(たとえ「富・カネ」を生み出すものであっても)。

例えば原発に関わる仕事はどうだろうか。確かに電力の安定供給に資するという面は認めよう。公益性が非常に高い仕事でもある。しかし一度事故が起これば多くの人たちの生命・健康・生活を奪ってしまうおそれがある。

軍需産業は膨大なカネが動くが、その兵器によって数多くの人命が奪われ国土が荒廃することになる。

金融機関(カネ貸し)はどうだろう。適正な金利で適正な額を貸し付けているうちは有用な仕事である。しかし、サラ金商工ローンのように高利で貸し付け(しかも過剰な貸付もある)、脅迫まがいの取立てを行ったらもはや社会に無用な存在でしかない。銀行の中小企業に対する貸し渋り貸し剥がしも同様である。

他にも悪徳商法とまではいかなくても、社会に有益とはいえないような仕事がゴマンとある。

 

すべての仕事は社会に役立っているというのは幻想であり、虚言である。

それは資本主義を擁護する者、政府や経営者やエスタブリッシュメントのプロパガンダに過ぎない。

仕事に対して「社会に役立つ」という意味づけをして、僕たちに片棒を担がせようとしているのだ。

グローバル企業がその経済活動を広げるほど環境破壊や貧困の拡大をもたらすことになる。いわゆる政府の開発援助もまた然りである。

 

社会に役立つといわれる仕事をすることによって、貧困国や途上国の搾取の片棒を担いでいることもある。

国内に限っても、ある仕事をすることで人々の生活を破壊し、貧困を生み出すこともある。

例えば人材派遣の仕事は、確かに仕事を提供して失業者を減らしている面もあるが、報酬をピンハネしているので、派遣で働く人たちの多くが低賃金・不安定雇用に陥っている。これは報酬を買い叩く派遣先の会社の態度にも大きな問題があるが、それを受け入れる派遣会社にも問題がある。

多くの派遣会社が仕事を求める人たちの立場が弱いことを悪用して、安い単価で仕事を請け負って自社の利益を確保し、派遣労働者に劣悪な条件を押し付けているのである。

 

自分のしている仕事は社会の役に立つ素晴らしいものだと信じ込む態度はあまりにも能天気すぎるものと言わざるを得ない。

物事には表と裏の顔があるものだ。

社会的ステータスの高い仕事でも、社会に害をなすこともある、という事実から目を背けてはならない。

 

大半の人たちは何らかの仕事をしないと生きていくことができない。

社会に有益とはいえない仕事もせざるを得ない人たちが多く存在するのもまた事実である。

その悲しい現実にも目を背けてはならない。