なぜ生活保護の受給者は世間から偏見の目に晒されているのだろう。
何らかの理由で生活が破綻すれば、それを立て直す方法のひとつとして生活保護制度に頼ることは至極真っ当なことのはずなのに。
生活保護へのバッシングはこの社会の嫌な面が凝縮されている。
初出 2014/1/6
生活保護受給者に対する風当たりは強い。
受給者の中のごく一部の不心得者が不正受給を行うと、鬼の首を取ったかのように批判し、マスコミもそのことを無自覚に垂れ流す。
また、受給者がパチンコに行っただの外食をしただのスマホを使っているだのという、取るに足らないことを槍玉に挙げる。
確かに生活保護費の大部分をギャンブルに使ったり、遊興費に充てるというのはいけないことだ。「生活扶助」をされているのだから、食費や光熱費等の生活費を最優先に充てるべきだし、過度の浪費は慎むべきである。
ギャンブルや遊興費を抑えられない人に対しては、生活設計の方法を教え、生活がまともに成り立つように導くべきである。また、ギャンブルを止められない人に対しては、ギャンブル依存症の可能性もあるので、医療的なケアも必要である。
あくまで生活保護はその人が自立して生活を行えるように援助する制度であることを忘れてはならない。
生活保護受給者が、保護費の中から捻出してたまに外食をしたり、コンサートや映画に行ったりすることを禁じるのは適切ではない。生活保護受給者も「健康で文化的な生活」を営むという当然の権利がある。
なぜ、生活保護を受けている人たちは目の敵にされるのだろう。
それには幾つかの理由が考えられる。
かつて、社会保障制度が確立されていないときに、貧困者救済は「劣等処遇」の原則でなされていた。最下層の労働者の生活レベルを下回る処遇が当然とされていたのだ。現在もその考え方がどこか奥底に残っているのかもしれない。
一般の庶民の生活保護受給者に対する妬みのような感情が存在することも見逃せない。自分たちはしんどい仕事をしてもギリギリの生活を強いられているのに、生活保護受給者は働かずにいい生活をしていると思っている。また、生活保護受給者は、大人しく貧しい生活に甘んじているべきだと思っている。
生活保護受給者の大部分は厳しい生活を送っている。受給者が贅沢な暮らしをしているという誤ったイメージが増幅されて流布している。政府やマスコミがこのような「弱者たたき」の片棒を担ぎ、庶民の不満をガス抜きしているのだ。
生活保護制度は全額税金によって賄われる公的扶助であり、そのため税金の無駄遣いは許されないと主張されることもある。
確かにその通りである。不正受給には断固たる処置をとるべきである。税金は公正に透明性をもって使われるものでなくてはならない。
しかしながら、税金はあらゆるところに使われている。公務員の給料、年金の公費負担、補助金や助成金を受けている企業も多い。
何より政府・官僚による莫大な額の税金の無駄遣いはどうなのか。大した仕事もしていない特殊法人への天下りや政治家の利益誘導による既得権など「巨悪」は存在する。
穿った見方をすれば、政治家・官僚やエスタブリッシュメントが犯している「巨悪」から庶民の目を逸らすために、生活保護バッシングを促している。権力者がよく用いる常套手段である。
僕が最も危惧するのは、一般市民が生活保護者の生活を監視し、不正らしきことを見つけたら行政に通報する制度が、ある市で条例化されたことだ。この通報制度は決して全国の市町村に広まってはならない。
生活保護者の生活援助は、公務員たるケースワーカーの仕事であり、ケースワーカーと自治体が責任を負うべきものである。一般市民がなぜ監視し、通報の義務を負わなければならないのか理解に苦しむ。
それに一般の市民は誰が生活保護受給者なのか分からない。逆に言えば、誰が生活保護受給者かが分かる方が怖い。それこそ「監視社会」になってしまう。生活保護受給者に負のレッテルを貼り、社会から排除する不健全な社会にもなりかねない。
生活保護受給者にも「ゆとり」を認め、自立可能な人たちに対しては、長期的な視野で自立を促すような、余裕がある態度で接するような社会になるべきだと、僕は思う。