僕は正社員、特に総合職的な正社員としての働き方に疑問を持ち続けている。皆が皆エリートコースを望んでいるわけではない。
そこそこ働いて安定した生活を送ることができれば良いと考えている人たちも多いのではないだろうか。
初出 2013/11/28
以前のエントリーで、日本型の給与制度では中高年齢層の社員の給料が高くなるのは生活保障給の性質からも当たり前のことだと書いた。
一般的に中高年齢層は最も生活費がかかるようになり(子どもの教育費や住宅ローン)、給料もそれに見合った額になるということだ。
しかし、この「常識」らしきものは崩れる可能性が高いかもしれない。
少し前までは社員の給料のピークは50代前半であった。そのピーク以降は幹部職員や役員に登用されない限り、給料は歳を取るにつれて下がるか、良くて現状維持であった。近年、このピークが40代後半に移ってきている。今後は更に前倒しになるかもしれない。
その理由は、能力主義・業績主義的な賃金体系が採用されることと、幹部選抜の時期が早まったことにある。
30代で自宅をローンで購入して、40代後半から50代では子どもの教育費をかける、という理想的とされた生活設計が可能なのは、大企業の出世コースに乗った社員か公務員だけになってしまうかもしれない。
逆にこのようには考えられないだろうか。
住宅費と教育費の負担さえ軽減されれば、そこそこの年収(400万~500万円程度)でも豊かな生活を営むことができるのではないか。
サラリーマンで高い年収を得るためには、ごく一握りの高待遇の会社に入り、そこでバリバリ働かなければならない。社畜となって、長時間労働や休日労働、転勤や単身赴任という理不尽なことにも耐えなければならない。
日本の雇用慣行である新卒一括採用において、「総合職」で入社すると皆が幹部候補生扱いになり、それ相応の働きと会社に対するコミットメントを求められる。会社は社員に対して、出世と高待遇というエサを蒔いて、競争に掻き立てれば、利益を得ることができる。一方、社員にとってみれば、こんなに厳しいことはない。
そこそこ働いて、余暇や趣味を楽しむ時間を確保できて、ある程度余裕のある生活を送ることができればいい、と考えている人たちが多いはずである。社内エリートやグローバル人材なんてほんの一握りの人たちだ。
一時期話題となった「限定正社員」という採用区分を設けるということを真剣に考えても良いのではないだろうか。もっと細かく分けると「職務限定正社員」や「職場限定正社員」制度を導入するのだ。イメージとしては、かつての一般職と総合職の中間に位置するものと考えればよい。期間の定めのない雇用で、福利厚生も正社員と同様の待遇にする。給与体系は、職務給的な要素を取り入れるか、職務給一本にする。
ただし、会社内で該当する職務がなくなったり、部署がなくなった場合、解雇規制を従来のものより緩和する。そうすることによって、会社が雇い入れやすい状態にする。
一方社員のメリットとしては転職がしやすくなる。年収がそれほど高くないので、一定レベルの職歴と職務遂行能力があれば、採用のハードルも下がるだろう。
中高年者の転職が難しい最大の理由は、年功序列的な給与体系や職能給制度の下では中高年者の給料が高くなってしまい、雇う側のハードルがものすごく上がることにある。仕事ができて、キャリアがある人でも、この「壁」に泣く。
ただ、ここで問題がある。
転職はしやすくなっても、年収が400万~500万程度(場合によっては300万円代)では、住宅ローンや子どもの高校や大学進学のための教育費を十分に賄えないことだ。
これはもう政策レベルの話となってしまう。
良質な公的な賃貸住宅を増やし(あるいは家賃補助制度)、自己所有の一戸建てやマンションと遜色のない住環境を提供できるようにすべきである。
国公立の大学は無償化が望ましい。そして、国公立・私立大学を問わず、学生寮を質量ともに充実させるべきである。
教育費と住宅費の負担が軽減すれば、生活設計が容易になるのは自明のことである。
これら教育と住宅への投資は、国力増強のためには実は最も有効な手段なのである。少子化対策にもなり得る。
そこそこ働いて、安心して暮らせる。
そのような社会こそが、真に豊かな社会なのだ。