希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

自分の「居場所」があれば楽しく生きていける件〈再掲〉

このエントリーは、僕が最も重要なテーマだと考えている「居場所」について考察したものである。

かなり「粗い」内容であることは否めない。

本当に他者に伝えたいことを伝えるのは難しいことだと痛感している。

初出 2013/11/26

 

僕がこのブログで伝えたいテーマのひとつが、自分の「居場所」を作ることの大切さである。

この世で生き辛さを感じるのは、確かな「居場所」が見つからないことが大きな原因だと僕は考えている。

 

社会に一人ぼっちで放り出され、ダイレクトに社会そのものと向き合うのは、どんなに精神力が強い人でも耐え難いものである。そこで個人と社会との間の緩衝材となるようなコミュニティや団体などが必要となる。

歴史的にみれば、近代以前は地域コミュニティ(村落や集落)で生活は殆ど完結していた。住民同士の相互扶助、例えば仕事の助け合い、冠婚葬祭の際の助け合い、祭祀など、を通じて人々はコミュニティに頼って生活をしていたのである。ただし、コミュニティの掟を破ると「村八分」に遭い、コミュニティの成員として受ける利益の大部分を失ってしまうということもあった。

近代になると、旧来のコミュニティを超克し、一個人として自立した生き方が好ましいと考えられるようになった。しかし、国家の成員としての一個人・一市民として生きていくのは、拠り所がなくしんどいものだ。そこで、人々の拠り所となる新しいコミュニティができ、また旧来のコミュニティも温存されたのである。

 

国家と個人の間に位置するコミュティや団体を「中間社会」という。

少し前までは、学校と会社が代表的な中間社会であった。地域では青年団や婦人会、敬老会などである。

学校では教育機能のほかに地域活動の拠点という側面もあった。会社においては、単なる仕事の場に留まらず、国家がなすべき社会保障を補完して福利厚生を担い、人間関係構築の場としての役割を果たしていた。いわば、普通に学校に通い卒業して会社に入れば大過なく人生のかなりの部分を送ることができた。そして、定年退職後は嘱託として働くも良し、完全に仕事から退いて地域活動に勤しむこともできた。特別な意識もなく「居場所」を確保できたのだ。

 

しかし、現在は学校や会社を取り巻く状況が変わってきている。学校や会社はもはや安住の地ではない。しかも、地域コミュニティも崩壊している所が多い。

さらには、従来から学校や会社という既定のレールから外れざるを得ない人々も多くいる。それに加えて、不安定となった学校や会社から零れ落ちていく人も増えている。数え切れぬほど、生き辛さを抱えている人たちが社会の中をさ迷っているのだ。

 

生き辛さを抱えている人たちは社会から疎外されて、孤立していることが多い。学校や会社に属していても、疎外感を覚えながら生きている人たちがいる。もはや、学校や会社に「居場所」としての役割を全面的に期待するのは難しい。

 

今こそ、新しいタイプの「中間社会」を創り、「居場所」を創ることが求められている。

多種多様な要望に応える中間社会が、多くの場所で、多くの数が必要である。中間社会の属性を細分化し、それぞれのニーズに合ったコミュニティが必要なのである。ただし、「ムラ社会」的な掟に縛られるようなコミュニティにしてはならない。ある価値観を押し付けてもいけない。敷居を低くし、いつでも誰でも加わることができて、いつでも抜け出ることができ、かつ自由で自律的なコミニュティが望ましい。

 

人それぞれが、自分に合った居場所を見つけられて、そこで一人でもいいから気の合った仲間を見つけられる、そんな場があれば、生き辛さが緩和されるはずだ。

 

と、こんなことが本当に可能なのかは分からない。僕の夢想に過ぎないのかもしれない。

 

希望さえあれば、絶望には終わらない。

希望さえあれば、僕は生きていける。