希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

自己責任と言いたがる奴らは人に無関心・無責任である件<再掲>

このエントリーははてなブログを始めた頃に書いたものである。

僕がこのブログを書く上で重要なテーマの一つである「自己責任論の欺瞞」を訴えたかったエントリーであり、再掲したいと思う。

2013/11/3初出

 

10年程前の小泉政権の時に「自己責任」論の嵐が吹き荒れた。現在は表面上は自己責任論は影を潜めているが、多くの人々の心の中に巣食っている概念である。

幾度も噴出する生活保護に対するバッシングはその最たる例であろう。確かにごく一部の不正受給者は存在するが、これは制度上の宿命なのに、ことさらそれを取り上げて生活保護いや社会保障費を削減しようと跋扈する輩がいるのである(片山さつきや世耕某などの政治屋)。

 

例えば次のような事例を考えてみよう。

 

両親の所得が低く、進学した高校も費用負担に耐えられずに退学。派遣やアルバイトを転々とするが体を壊して働けなくなった30代の男性。両親には彼を扶養する経済状態ではない。

 

このケースでは制度上は生活に困窮し、働くことができないのだから生活保護を受けられるはずである。しかし、福祉事務所の窓口では追い返される例が跡を断たない。これは「水際作戦」と呼ばれている。最悪の場合は申請者を餓死に至らしめる。この水際作戦が行われている福祉事務所の現場の職員は、申請者に自己責任論を押し付ける。「働けない人間は屑だ」「風俗で働け」等々、これらは実際に吐かれた職員の暴言である。

 

話が逸れたので元に戻そう。

 

若いのに働けないというのは甘えだとか、意識が低いとか、仕事を選ぶなとか、そもそも病気になるのは自己管理ができていないなどという言葉を浴びせかけるのは、悪質な自己責任論である。

人生には予測できない事態が多々起きる。自己責任論をぶつのは浅い人生観しか持たない人間である。自分がうまく生きているのは、たまたま運が良いだけだということに考えが至らない浅はかな人間なのである。想像力が欠如している人間なのである。

また、人生につまずき途方に暮れている人々に対して、それは自分には全く関係ないことで、勝手にやってくれという無責任な態度である。

 

この自己責任論を個人単位から企業単位に広げると、過労死過労自殺するのも自己責任、リストラされるのも自己責任となる。

企業の業績不振は経営者の能力が足りないために引き起こされる。経営戦略の誤りを、現場での戦術で挽回するのは至難の業なのだ。

自己責任を強いる経営者が、業績不振にも関わらずいつまでも経営陣に居座り続けるのはどうなのか?自己責任を果たすべきなのは経営者なのではないか。また、破綻した大企業を救済する銀行、破綻しそうな銀行に税金をジャブジャブ投入した政府・・・

社会的強者は自己責任は問われず、弱者にのみ自己責任を強いる社会、これが日本という国なのだ。

 

僕たちのような社会的弱者は、この無慈悲で、ある意味滑稽な自己責任論にどう立ち向かえばいいのだろう。

 

ありきたりな答えになってしまうが、「共生」の実践と「連帯」することで立ち向かうことなのではないか。一見ソフトで遠回りのような方法だが、実は権力者・エスタブリッシュメントたちにとっては最も厄介な手段なのだ。