希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

社会運動は生存のための闘争という原点回帰が必要である件

今どき社会の不公正や矛盾に異議申し立てをする行動をとることはダサいという風潮がある。あるいは行動を起こしても何も変わらないという諦めもあるのだろう。

既存の労働組合はその存在意義を失いかけているし、社会運動、例えば部落開放同盟の行政との癒着や公金の私物化や既得権に固執したふるまいが批判の的となったりしている。

社会の変革を目指して立ち上がった運動は、組織が肥大化すると当初の理念から遠ざかり組織自体の存続が目的となり、果ては腐敗する。エスタブリッシュメントと癒着することすら起こる。

これは世の常である。

 

労働運動や部落開放運動(水平社)などの社会運動は、はじまりは「生存」のための運動だったはずである。虐げられた人たちや社会的弱者は個人の力は弱く、時の権力に立ち向かっても潰されるのは目に見えている。かと言って置かれている状況を放置しなすがままにしていれば、生存さえ脅かされる。そこで連帯し団結して組織の力で立ち向かうことになったのだ。弱者にとっては唯一の手段である。

エスタブリッシュメントは支配される者たちの団結と社会運動を極度に嫌い恐れる。かつての社会運動が度重なる弾圧を受けたのはその証左である。エスタブリッシュメント分断統治を常に強行するのも然りである。

 

多くの社会運動によって一定の成果を得られたことは間違いない。経済成長の恩恵を受けたという側面が強いが、一般に生活環境は改善された。

しかし、他方で多くの社会運動の組織が今は弱体化しているのも事実である。全体的に社会が豊かになったことも理由であるし、社会民主主義的な勢力の退潮も不毛なイデオロギー闘争に明け暮れたこともその理由に挙げられる

既存の労組は春闘だけの、それも形式だけの組織に成り下がっている。労働者、とりわけ非正規雇用労働者の要望に応えられない。正社員の既得権を守ることのみに終始している。労組の幹部は会社の幹部に収まるためのステップに過ぎないケースも多い。会社側の一方的なリストラ通告に抗うことなく、ひどい場合には率先して協力する始末である。

 

現在は多くの人たちが「生存」を脅かされている状況にある。

非正規雇用労働者の劣悪な待遇や正社員であっても賃金は上がらず長時間労働が蔓延し、労働強化がなされている。女性の問題、片親家庭の貧困率の高さ、ホームレスの問題、原発の問題も集団的自衛権の行使の問題もある。社会保障(特に生活保護)の削減がさも当然のようになされている。

エスタブリッシュメントや社会的強者は己だけが利益を享受できれば良いと考えているし、そのような社会システムを作ろうとしている。庶民を虐げても何の良心の呵責も感じてはいない。

 

あらゆる分野での社会運動は社会には必要不可欠なものである。エスタブリッシュメントの暴走を抑え、庶民の生活を守るためにもその存在意義はあると思う。

草の根的な、誰にでも開かれた、それでいて特定のイデオロギーに偏っていない社会運動、生存のための社会運動が興隆することを切望している。

 

本当に暮らしやすい、安心できる社会はお上頼りではなく、自分たちの手で築き上げるという気概を持つことが大切だと、僕は思う。