希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

社会に有用かどうかや効率性ばかりを追求するのは面白くない件

少し前のことになるが、幾つかのTV番組に「八尾のエジソン」という在野の発明家が出演し、笑いをとっていた。この人の発明は生活が便利になるとか、発明でカネを儲けようとかの発想がまるでなくて、ただ思いつくままに発明するのが好きだという人だった。珍発明を延々と続けるような人が僕は大好きである。

社会にいかに役立つかとか、どれだけ稼いだとかばかりを重視する今の世の中においての一服の清涼剤のごとく感じられる。

 

例えばナメクジの生態を解明し続けるとか、昆虫採集に一生を費やすなどの研究は一見僕たちの実生活には関係ないように思われる。しかし、それらの行為が新薬の開発やIPS細胞の研究等より劣っているわけではない。

同様に哲学や倫理学を究めたり、中世の漂泊民の研究等が政治学や経済学等の実学とみなされる研究より劣ったものでもない。

僕から見ると訳の分からないオブジェを創作している芸術家の行為も同様である。

 

非合理的に思われる行為や、ムダと捉えられる行為、社会に直接的に役に立たない行為を、経済合理性の観点から下に見る風潮が世の中には存在する。これらの行為も十分に価値があるとみなされる社会が寛容で生き辛さがない社会である。

何事も経済優先の価値観が蔓延る社会はどこか不健全で息苦しいと感じるの僕だけだろうか。

 

特別なケースばかりを取り上げてきたかもしれない。

 

僕たちの働き方にもこれまで述べてきたことが当てはまるような気がする。

実生活の利便性ばかりを追求した商品やサービスを生み出すことだけが尊いとされる考え方はどこか間違っているという視点を持つことも必要なのではないかと思っている。

会社の利益追求のためだけに、心身ともにボロボロになるまで働き続けなければならない状況に異議を唱えることも絶対に必要だ。利益と効率性ばかりを追い求め、それに従順な労働者を酷使する会社社会はどこかいびつで反社会的であると思い至ることが必要である。

生きていく上で必要最低限の労働は必要である。ただ、人は生活の糧を得るために働くのであり、それ以上でも以下でもないはずである。生活の大部分を労働とそれに関係する行為によって占められた状態は奴隷となんら変わらない。

 

僕たちは労働の場において、あるいは生きていくなかで、非効率的なことや非合理的なこと、ムダを排除しすぎているのではないか。

カネにならないことに精力を傾けている人たちに対して畏敬の念を持つべきだと思う。また僕たち自身も時にはカネにもならないことに注力することもありなのではないだろうか。

 

ムダなことや非効率的なことにも価値が認められる社会が生きやすくて面白みのある社会である。

僕たちの人生においても、回り道をしたり、ムダと思われる経験(実は有益な経験)を重ねることが豊かで実りのあることだと、僕は思う。