希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

やっぱり働ける人は働いた方がよいという件

なんだか至極当たり前のエントリーのタイトルになってしまった。

僕はこれまで貧困問題や生活保護などについて言及してきたし、正社員的な働き方に違和感を持っていることについてもふれてきた。僕が働かずに生活保護を受給することを煽っているとの誤解を招くおそれもある。

 

僕は真っ当に生きてきて、何らかの理由で生活が破綻した場合のセーフティネットを強化すべきだと主張してきたのである。働ける状態にある人は働いて自立するのが当たり前のことだと考えている。ただ、昨今の労働条件が劣悪な状況等を鑑みて、必ずしもフルタイムで働くことにこだわる必要はないのではないかと思っている。公的・私的な支援をミックスさせて自立を促す視点も重要だと考えている。

 

現行の制度では、働けなくなって生活が困窮した場合には生活保護を利用するしかない。他の先進諸国では、失業保険と生活保護の間に中間的な制度があるが、わが国では雇用保険生活保護の間が断絶している。

生活保護制度には様々な問題点がある。捕捉率が低く本当に必要な人たちに生活保護が行き渡っていないこと。今は変わってきたが、稼動年齢の人たちの受給が事実上拒否されてきたこと。何より僕が問題だと思うのが、生活保護を受給すると自立を阻むケースが多いことである。分かりやすく言えば、生活保護を受けると真面目に働くのがアホらしくなると考える人たちが少なからず存在することである。単に怠け癖がつくということではない。働ける心身の状態で(仕事がないという理由で)生活保護を受けた当初は再就職の意思を持っている人は多いという。しかし、生活保護の受給期間が長くなるにつれて、自立できる人の割合がかなり低くなるのが現実であり事実である。だんだんと勤労意欲を無くすのだ。これは無理からぬ話だと思う。就職活動をしても落とされてばかりでは精神的にダメージを受ける。求人情報を見ても労働条件が劣悪な会社が多い。最低限の生活は生活保護によって保障されている。となると、このままでいいか、とついつい考えてしまう。人間は弱いもので、楽な方へと流されてしまう。このような人たちを一方的に非難することはできない。

 

しかしながら、僕は思う。

労働条件が少々悪くても、自分の希望する職種でなくても、働ける人は働いた方がよいのだと。

僕が働いた方がよいと考えるのは、人は働くべきだとか、真っ当な社会人になれとか、そういう「勤勉教」や労働至上主義的な考えからではない。

人はやはり社会とつながっていなければ生きていけないと考えるからである。

自分の居場所を見つけることができれば、楽しく生きていけると思うからである。

例えば生活費の半分を生活保護から受けながら、残り半分をフルタイムでない働き方で稼ぐ方法をもっと採り入れてもよいと思う。これでも生活保護費の削減はできる。生活保護を受けている人たちの社会への復帰や自立にもなる。一般的な労働が無理ならば、福祉的就労という選択もありだと思う。ひとりひとりの能力や意欲等の状況に合わせて、自立へと誘うことが大切なのである。

 

人は働くことによって自分の存在価値を認めることができる。生活費を自分で稼ぐことによって自信にもなるし、社会人としての自覚も芽生える。何より社会や他者と繋がることによって、孤独感が払拭され、生きていくことが辛いだけではなく楽しさもあることを実感できるようになる。

 

確かに働いているとしんどいことや辛いこともある。けれども、それだけではないはずである。労働によって得られる充実感がある。

生活費は自分の手で稼ぐことと社会と繋がること、という労働の原点を今一度見直すことも大切だと、僕は思う。