希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

会社人間と引きこもりは表裏一体かもしれない件

会社人間は会社組織に精神的・物理的に従属した人たちである。単に会社勤めであるということだけで会社人間というわけではない。行動様式や価値観などが会社特有の論理に絡め取られている人たちだと言ってもよい。あるいは会社=社会という考えを疑いもなく信じている人たちだともいえる。

 

通常、会社に勤め独立して生活を営んでいれば「自立」しているとみられる。

果たしてそうだと言い切れるのだろうか。

会社=社会だという考えは歪なものではないだろうか。

 

会社人間の人間関係は会社内で完結することが多い。会社内で結婚相手を見つけ、社宅に入居し、社内の低利融資でマイホームを購入するなんてこともある。また、所得税や住民税は源泉徴収され、確定申告をせずに年末調整を会社にしてもらう。その結果、納税意識が希薄になる。何から何まで会社に依存している膨大な数のサラリーマンが存在している。

社会的な存在としての自分の位置づけや他者との関わりを会社を媒介としてのみなされているのが会社人間の特徴である。

極論ではあるが、会社人間は「会社に引きこもっている」といえる。会社という巣に安住している間は問題はないが、会社から離れたときに自らの存在意義を失うケースも多いのではないだろうか。リストラされた時に精神に大きなダメージを受けたり、定年後に自分の身の置き場を見つけられない等の話は枚挙に暇がない。

 

一方、会社人間と対極にあるとされる引きこもりは社会との関わりを上手く持てない、あるいは関わりを何らかの理由で持ちたくない人たちである。

これも極論になるが、会社=社会という考え方に馴染めない人たちが引きこもり(あるいはニート)になる場合が多いのだと捉えてもよいと思われる。会社=社会という価値観がメインストリームの社会では、会社人間に嫌悪感や拒否感を抱く人たちの一部が引きこもりになる。

引きこもりの人たちへの支援方法として、真っ当に働くようになること、言い換えれば会社人間になることによって解決するという手法や考え方は愚の骨頂である。

引きこもりの人たちの中には、会社に勤めていた経験を持つ人が多くいる。会社組織(または学校組織)で大きなストレスを抱えて馴染めなかったがゆえに引きこもりという手段に出たのだ。引きこもっている人たちに必要なのは、「居場所」と組織の論理に縛られていない社会や他者との関わりである。

 

一見、対極にあると見られている会社人間と引きこもりは表裏一体の関係にある。

 

会社=社会という価値観、「会社教」「学校教」とも言うべき価値観は絶対的に善でも正しいものではないと客観的に捉えることが必要だと、僕は思う。