希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「福祉国家」が素晴らしい社会であるとは必ずしもいえない件

僕はこのブログで新自由主義・新市場主義的な社会に突き進んでいることに憂慮し、反対している内容のエントリーをいくつか書いてきた。

欲望がむき出しになり、弱肉強食の社会、勝者のみが莫大な利益を享受する社会は大多数の庶民にとって生きづらい社会となる。機会の平等が形骸化し、元々持てる者が圧倒的優位な立場で競争する社会は社会階層の固定化をもたらす。

 

比較的貧富の格差の少ない北欧諸国のような福祉国家を目指すべきだという新自由主義への対抗策が有力な手法だと考えられてきた。

充実した社会保障、飛び抜けた富裕層は少ないが貧困層も少なく中間層が大多数の安定した社会は一見理想的な社会だと思える。昨今の財政難や不景気で北欧諸国やオランダでは政策の一部見直しはなされているが、福祉国家という大枠を維持するというコンセンサスがある。

 

福祉国家にも負の面が多くあることは否定できない。高い国民負担率や失業しても生活ができるために勤労者のモラルが低下しているなどである。ただ、これらの問題は新自由主義の信奉者からのネガティブ・キャンペーンという側面を考慮しなければならない。福祉国家エスタブリッシュメントにとってはあまり「おいしい」社会体制ではないともいえる。

 

あまり大きくは取り上げられないが、福祉国家の「裏の顔」ともいうべき断種政策が採用されていたことは重大な問題である。断種政策とは優生思想に基づいたもので、遺伝的に問題のある人たちや反社会的性質を帯びる人たちの子孫を残せないように不妊手術を合法的に認めることである。有名なのはナチスドイツのケースである。ナチスの場合は断種政策だけでなくホロコーストまで引き起こした。ユダヤ人やロマ人、精神障害者等を虐殺するという歴史的な非人道的行為を実行した。そのナチスの陰に隠れた形で、福祉国家では戦後も断種政策が行われていたのだ。

 

福祉国家での断種政策はもちろん「民族浄化」の目的でなされたものではない。いくつかの理由があるが、主なものとして福祉給付を削減するためと国民の「均質化」を目的としたものであった。遺伝病や障害者等が増えれば社会保障給付費が増大するため、そのリスクを避けるためである。また、福祉国家は言い換えれば均質な社会に近づけることであり、そのためには国民の均質化が必要と見られたのである。さらには福祉国家は統制社会(あるいは国家管理社会)の側面もあるので、国民が均質化されたほうが都合が良い。

これらの事実から福祉国家へ完全な信頼を寄せることは危ういことだといえる。ある意味新自由主義国家と同等かそれ以上の国民に対する統制・管理が存在するのである。

優生思想や社会ダーウィニズムは新自由主義と強い相関関係が見られる点はよく指摘されていたが、福祉国家でもその埒外ではなかったのである。

 

しかしながら、現在の福祉国家ではノーマライゼーションの理念をほぼ実現した社会となっていることを見逃してはならない。過去の負の遺産を活かしているともいえる。

 

やはり、日本社会はアメリカのような新自由主義的な社会を目指すべきではないと僕は頑なに思っている。しかし北欧諸国のような福祉国家になるにも無理があるとも考える。

機会の平等を実現した上での公正な競争社会であり、かつ敗者・弱者に十分に配慮した公的施策を併せ持つバランスの取れた社会を目指すべきだと僕は思っている。