希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

今更ながら、格差社会について考えてみる件

格差が拡大し、日本は格差社会になっていると言われて久しい。今はさほどクローズアップされなくなったが、一時期は格差社会に関する著書やメディアの報道が氾濫していた。格差は開いていないという識者はいるが、多数の考えは格差は開いているというものだった。

 

格差社会であることがなぜ問題となるのか。

 

資本主義体制の下では経済的格差が生じるのは当然のことである。言い換えれば、経済的格差が生じることを前提とした社会体制が資本主義社会なのである。僕たち大多数の人たちは資本主義体制を是認しているわけだから、格差が開くことに対して異議申し立てを行うことはおかしいことになる。

このロジックはエスタブリッシュメントやその周辺層にとって都合の良いものである。自由競争の勝者が利益を独占して強者となり既得権を強固なものとし、圧倒的多数の敗者は経済的に困窮する状態に陥る。しかし、極端に貧富の格差が開くと社会不安を呼び起こすため、社会保障や所得の再分配によって格差是正を図るようになったのである。

 

資本主義体制を維持し、自由競争を押し進めるときの公正さを担保するものに機会の平等と能力主義がある。

競争のスタートラインを同じにするために機会の平等が確保されていなければならない。

その人の生まれや家柄等の門地や社会的地位等に関係なく、その人自身の能力が適正に評価されなければならない。

 

日本で現在進行している格差の拡大の問題点は、機会の不平等と能力主義ではないことにあると考える。

エスタブリッシュメントに生まれた者はよほどの大罪でも犯さない限り、その地位を世襲する。

経済的な強者である家に生まれた者はかなりの確率で、高等教育を受けてそれなりの地位に就くことが多い。

経済的な弱者の子弟は、高等教育や良い待遇の就職の機会に恵まれず、なかなか今の社会階層から抜け出ることができない。

まるで格差が遺伝するようであり、社会階層の固定化と再生産が繰り返される。

 

社会階層の上位に移動するための手段として、高い学歴を得ることが考えられる。かつての高度経済成長期の頃までは社会階層の移動が見られたが(親より高い学歴を得たケースが多い)、現在はその移動の割合は減少している。学歴のインフレ化が進行しているため、大学を卒業した程度では社階層の上昇は難しくなっている。

また、前にも触れたが、社会階層の下位に位置する者の子弟は大学に進学する割合が低いという点が問題である。

社会階層が高い者の子弟は競争に参加できるが、低い者の子弟は競争そのものから排除される場合が多々あることが問題を深刻にしている。

 

血筋や家柄、親の社会的地位等によって格差が生まれる社会は果たして公正な社会なのだろうか。前時代的な階級社会に戻して、己の既得権を守ろうと画策する層が存在している、とは言い過ぎだろうか。

 

僕は経済的格差が生じるのは認めている。

ただし、本人の能力や努力で格差が克服される社会である。機会の平等が実現されている社会である。

また、努力が報われない人たちや努力ができない状況にある人たちに対しては、政策レベルで不平等を是正する措置が絶対に必要である。

 

格差や社会階層がそのまま人間の価値を決める社会になってはならない、と僕は思う。