希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

パラサイト・シングルは抵抗手段である件

数年前に「パラサイト・シングル」という言葉が作られて、独立していない若者が増えていることが問題視された。正社員非正規社員を問わず就職しても、親元を離れない若者が増えていることが問題だというわけである。

このパラサイト・シングルを俗流若者論者は甘えだとか、自立心がないだとか批判した。自分が得た給料を遊興費・衣服費に費やす独身OLなどが槍玉に挙げられていた。

 

労働者の給料が上がらず、非正規雇用も増えてきている状況で、独立して生計を営むことは難しくなっているのが現実である。住宅費の高い大都市部なら尚更だ。若者たちが生活防衛のために実家暮らしを選択することを責めるのは酷である。

ワーキング・プア等の貧困の問題が長らく深刻な社会問題として捉えられていなかったのは、低所得者の生活を親が面倒を見ていたからである。親の援助を得られない一部の人たちが、住宅を失ったりして生活に困窮するケースが表面化し問題となったのである。

国や地方自治体、会社は家族に頼ることにより、貧困の問題を隠蔽・先送りしていたといえる。

 

そもそも「パラサイト・シングル」というライフスタイルは悪いことなのだろうか。親に寄生するという意味合いのこの言葉に悪意を感じる。親と同居して共同で生活を営むという、普通の家族の姿があるだけだと僕には思える。

元々日本社会では親と同居、三世代同居は普通の家族の形だった。戦後、欧米の生活スタイルが導入されたこと、経済成長で都会に働きに出ることが多くなり、核家族化が進行したために親と別居して独立することが当然となっただけである。極めて新しい価値観なのである。

フリーターニート等への批判を正当化するために持ち出した考え方であるともいえる。親が富裕層(政治家・経営者等)の二世・三世はさほど批判されず、「セレブ」だと持て囃される。彼らこそ寄生虫なのだ。

 

パラサイト・シングルに対する批判でよくあるのは、親が年金を受給する世代になるとその年金に「寄生」するのでは、というものだ。しかし、その年金の原資は現役世代であるパラサイト・シングルたちが負担している。「世代間扶養」の賦課方式をあたかもあるべき公的年金の姿だと吹聴しておきながら、現役世代が少しでもその恩恵を受けようものならバッシングする。エスタブリッシュメントの欺瞞を垣間見ることができよう。

元々日本では現役世代に対する社会保障が手薄である。失業者に対する保障や住宅政策、子育て支援等の社会保障支出が欧米先進国と比較して少ないという事実がある。

 

雇用が不安定であり社会保障が手薄だとなれば、生活を成り立たせるためには、現役世代は自分自身かあるいは家族に頼るほかない。

 

パラサイト・シングル」は現役世代に優しくないこの社会におけるひとつの抵抗手段なのである。