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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

庶民にとってはいつの時代も厳しいものであるという件

生きるということ 社会について考えてみる 歴史に関連したことについて考えてみる

社会の変動の影響を最も受けるのは庶民である。

戦争のときには兵隊として戦場で使い捨てにされ、不景気のときはその影響をモロに被り生活が苦しくなる。時代を遡れば、飢饉となれば飢餓状態に陥り餓死者も多く出た。

一方、どのような社会状況下でもしたたかに生き抜いてきたのも庶民である。時には蜂起して一揆や打ち毀しという実力行使に打って出た。

 

今は庶民にとっては厳しい時代である、とよく言われている。増税社会保障費の負担増、不景気によって給料が上がらない等数え上げればきりがない。

しかし、よくよく考えてみれば歴史上庶民が生き易い時代などなかったのではないだろうか。

貴族などの一部の特権階級に搾取され放題の時代が殆どであったといえる。近代に入り、資本主義社会になっても、特権階級が身分制に基づく世襲の貴族・武家から大資本家に変わっただけである。庶民は相も変わらず抑圧され搾取され、しかも納税と兵役まで課せられたのである。

こんな風に書いていくと、僕がマルクス主義史観階級闘争史観に凝り固まっていると誤解されてしまう。僕は一時期左翼運動(民青に加入していた)に足を突っ込んだことはあるが、とっくの昔に足を洗い、今は中道左派を自認している。もっとも20代~30代の頃はバリバリの自由主義者であり、競争社会を礼賛していたのではあるが。

 

話が逸れてしまった。

 

僕は何も常に抑圧されている庶民が可哀相だとか、政治的に目覚めて革命を起こせなどと言いたいのではない。

 

庶民というか国民すべてが幸福に暮らせて納得するような社会なんて幻想に過ぎない。

もちろん、政策目標としては掲げるべきものではあるが、そのうちのほんの一部が実現するのが関の山であり、それが現実である。

それにお上(政府)頼りのメンタリティが気に食わない。何でもかんでも政府のせいにして批判することは、お上頼りであることの裏返しに過ぎない。社会保障のような政府にしかできないことはどんどん要求すればよい。しかし、個人の自助努力によるべきものまで、政府や国家に頼ることは賢明だとは思えない(自助努力ができない状況にある人たちは除く)。

 

庶民はどの時代も苦しさの中にも楽しみを見出して懸命に生き延びてきた。

庶民の持つリアリズムを駆使して、時として権力者を悩ませてきたこともある。

 

庶民庶民ならではのバイタリティを失ってはならない。

国家による統制が強まったとき、「監視社会」になろうとしたとき、あるいはファシズム的な動きが出てきたときに、庶民は抵抗手段を持っていなければならない。

庶民特有のリアリズムとバイタリティという、一見権力に対して無力なものではあるが、無形の力の源となるもので。