希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

地道な仕事の大切さを改めて考えてみる件

僕はこのブログで仕事はつまらないものだ、仕事にやりがいを持つことはない、などと書いたりしているが、何も仕事なんか辞めてニートになれと煽っているわけではない。仕事ができる状況にある人たちは仕事をするべきだし、仕事によって得られるものは多いと思っている。ただ仕事に必要以上に幻想を抱かないことだと言いたいだけだ。

 

僕たちはついついスポットライトを浴びる仕事をしている人たち、最先端といわれる仕事のやり方を実践している等に目がいってしまう。そういう人たちをメディアは取り上げて話題になったりする。ルーティンワークをこなすことに四苦八苦している「普通」の人たちからすれば、脚光を浴びている人たちは眩しく映り、自分の境遇を嘆かわしく思ったりしてしまう。

 

世間に注目される働き方をしている人なんて、ほんの一握りの能力や運に恵まれた人たちだ。彼ら/彼女らがスタンダードなのではない。

どのような会社・組織でも、日常の業務を堅実にこなす「普通」の人たちの力によって成り立っている。「普通」の人たちの働きがなければ、その組織は忽ち存亡が危うくなる。人材コンサルタント常見陽平氏の『僕たちはガンダムのジムである』に述べられているように、僕たちは大量生産の規格品であるジムのような存在なのである。そんな自分たちの存在意義を否定することはない。一部の「クリエィティブでできる人」にコンプレックスを抱く必要もないし、自分を卑下することもない。ルーティンワークや一見創造性のなさそうな仕事を確実にやり遂げること、やり続けることもまた「才能」である。

 

僕は今年に入ってからまた福祉の仕事に就いている。非常勤で高齢者デイサービスに勤めている。その仕事内容はクリエィティブなものを求められておらず、決まった業務を確実にこなすことが求められている。一見、変わり映えのしない日々が続く。しかし、毎日が全く同じなどということはなく、少しばかりの変化が常にある。多少はやりがいらしきものを感じながら、楽しく仕事をしていこうと心がけている。この程度なら「やりがいの搾取」をされてもいいかな、と思いながら。

僕のような立場の人たちが多数を占める職場であるが、皆責任感を持って利用者の利益に貢献するように努めている。何事も起こらずに一日が終わることが大切なのだ。

 

世間や他者から評価される仕事はクリエィティブな目立つものばかりではない。

この社会は無名の「普通」の人たちの営みによって、安定して成り立っている。

「普通」の人たちの地道な仕事の積み重ねによって、会社や組織は発展していくのである。

また地道な仕事を確実にし続けることによって、その中から新たな発見があり、創造的なものが生まれてくるものだと思う。

 

普通に働き続けることには大きな意義がある。

ただし、「普通」に働くことを神聖視してもいけないし、それを当たり前だとして普通に働けない人に無理強いしてもいけない。