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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕はいつも「ヒマ人」でありたいし、「ヒマ人」的人生を送りたいという件

よもやま話をしてみる 生きるということ

僕はガチガチのスケジュールに縛られた余裕のない生活には耐えられない。「忙しい」を口癖のように言いながら走り回る生活なんて真っ平御免だ。ここ数年は手帳も買っていない。仕事ではメモ帳を使っていて、それでほぼ事足りる。

 

思い返せば僕は大学時代に所属していたサークルでは「ヒマ人」と呼ばれていた。ボックス(部室のこと)に入り浸り、やってくる同級生や後輩をつかまえては、「暇か?」と聞き、学内の喫茶店に連れ出していた。下級生のときは、やはり「ヒマ人」と呼ばれていた先輩に同じようにくっついて行動をしていた。

当時の大学はまさにレジャーランドと揶揄されていたように出席しなくてもよい講義が多かったのだ。ゼミと語学と興味のある講義だけに出席して、有り余った時間でクラブ活動やアルバイトに明け暮れていた学生が多かった。僕はレギュラーのアルバイトはしておらず(その頃から勤労意欲が低かった)、昼間はサークルやゼミの仲間と遊び、夜は夜で下宿の「毎日が宴会」状態の中で過ごしていた。大学時代は僕の居場所が幾つもあり、充実した日々を送っていた。今で言う「リア充」だった。

 

大学を卒業して就職すると「ヒマ人」的生活は送れなくなった。仕事中心の生活となり、プライベートでも恋人がいたりするとデートの時間に取られる。自分の自由になる時間が仕事などに削り取られているという感覚を常に持っていた。

 

考えてみれば当たり前のことである。

まともな社会人ともなれば、やるべきことが増えて、それをこなすことが当然だとされるようになる。「暇だ」と言っているような人は社会(特に会社社会)では評価されない。

 

今の社会では「ヒマ人」=ダメ人間なのである。

会社教や勤勉教にマインドコントロールされた人たちにとっては常に忙しいことが善となる。また、世間ではこのような忙しい人たちに高い評価・信用を与える。僕もご他聞に漏れず、30代までは忙しいことが正しいことだと信じていた。仕事以外の時間に勉強会・交流会に足しげく参加したり、劇団に所属し役者もどきの活動(これは趣味だが)をしたりしていた。誰かのギャグの如く「止まったら死ぬんじゃ~」状態だったのだ。

以前のエントリーにも書いたように、僕は40歳を過ぎたある時にキレてしまった。あくせく生きるのは辞めようと決心したのだ。

かつての大学時代を思い出して、「ヒマ人」として生きていこうと誓ったのだ。・・まあ、「誓う」ほど立派なことではないのだが。

 

ヒマ人だからといって世捨て人的になるのではない。社会に対して常に問題意識を持ち、常に学び続ける姿勢を忘れない。自分のでき得る範囲で社会活動に関わっていきたいとも思っている。

また、思索を続け、自分なりの考えを築き上げたいとも思っている。

 

「ヒマ人」的生き方は、ダメ人間である僕にはぴったりの生き方である。

経済的には常に苦境と隣り合わせだが、ある程度の自由があるということは素晴らしいことだ。

 

「ヒマ人」的な生き方を追求すれば、また違った風景が見えてくるように思う。

どんな風景が見えるか、とても楽しみだ。