希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕が福祉に関心を持った理由について、ノーマライゼーションについて語ってみる件

僕が福祉に興味を持ったのは社会人になって2,3年経った頃である。

大学時代にお世話になり尊敬していたサークルの先輩が統合失調症になって入院したのがきっかけだ。

精神を病むとはどういうことか、「狂気」とは何かについて知りたくなり入門書や専門書を読んでいった。また精神病院の歴史や社会保障の歴史にも関心が広がった。さらには精神を病んだ人たちが地域社会の中で生きていくことの障壁となるものや、可能性についても知りたくなった。

(精神病や狂気については別のエントリーで書く予定である)。

 

僕は地方公務員を退職してから、福祉系の学部のある大学に編入学した。学費が安く、融通がきく通信制の大学だ。資格を取ろうとか福祉の現場で働くという意図はなく、ただ福祉についての勉強がしたかったのだ。

 

福祉を学んで最も衝撃と感銘を受けたのは「ノーマライゼーション」の考え方である。これは国連障害者年の際に発せられた理念である。

ノーマライゼーションとは、人間は病気や障害や能力の有無によってではなく、すべての人が地域社会で治療や福祉サービスを受けて、他人と同等な生活をする権利があるという理念である。

今はこの考え方はヘルパー養成講座では第一に教えられる。ただ、一般的に普及しているとは言い難い。福祉はお上からの恩恵だとか昔の考えを持っている人も多い。高齢者や障害者、精神病患者は施設に隔離して収容するのが当然だという誤った考え方をしている人もまだいる。

ノーマライゼーション実現のためには、地域社会に住む住宅や就労の場や生活の保障を提供しなければならない。先進国ではグローバルスタンダードであるが、日本では実現できていない。

 

このノーマライゼーションは高齢者や障害者だけでなく、貧困に陥った人たちにも適用できる(適用すべき)考え方である。

ノーマライゼーションの考え方では、「自立」とはフルタイムで働いて生活のすべてを賄うということを意味しない。人それぞれの能力に応じて働き、働けない人は年金や公的扶助によって生活費を保障する。短時間のみ働ける人たちには、生活費の不足分を年金や公的扶助で補う。

また良質で安価な住宅を提供することも重要な施策となる。

 

これらのノーマライゼーションの理念を貧困者対策にも反映すべきなのである。

貧困に陥った理由は人それぞれであり、中には「自己責任」だと思われるケースもある。しかしながら、貧困状態を放置して過酷な状況に追い込んでも(時には死に至る)仕方がないという考え方はあまりにも冷酷で無慈悲で人道に悖るものである。

人は誰でも平等に地域社会で平穏で安心した生活を営む権利をもつ。この場合の「平等」は決して悪平等ではない。

しかし、わが国のエスタブリッシュメント庶民に自己責任と犠牲を強いて、庶民のささやかな願いを蹂躙している。

 

ノーマライゼーションは福祉や医療の領域に限られた理念ではない。

僕たちの生活全般に及ぼすべき理念である。

虐げられた人たちに光を照らすものである。

庶民にとっては糧ともなる。

 

僕はノーマライゼーションの理念を片時も忘れることなく、僕の思考や行動様式に反映させ続けようと思っている。