希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

働きやすい職場とはどのような所かという件

仕事をするなら、やはり働きやすい職場で働きたい。サラリーマンの誰もがそう考えているのではないだろうか。

どういった職場が働きやすいのか、人によって条件が異なるとは思うが、一般論的に少し考えてみたい。

 

僕が考える「働きやすい職場」とは、①ゆとりやゆるさがある、②「仲間」と呼べる同僚がいる、③社員に決定権がある職場である。

 

①ゆとりやゆるさがある

「ゆとり」については多くの説明は不要だと思う。余裕を持った仕事の進め方をしないと、能率は上がらないし、社員の心身の消耗が激しくなる。

ゆとりと同様にある程度の「ゆるさ」も必要だと思う。ここでいうゆるさとは時間にルーズ(遅刻や欠勤等)だとか、仕事をサボってもいいとかそういう意味ではない。覚えの悪い人がいるし、仕事の遅い人や要領の悪い人もいる。そういった人たちを排除しない職場であることだ。人によっては仕事の進め方やペースが異なるのは当然で、その差異を認める職場であれば働きやすい。つまり個人差があることは当たり前だとの認識を共有している職場である。

いわゆる「トヨタ方式」の労務管理手法を採用していないことだ。手待ち時間を極限まで削り落として作業効率を高め、上のレベルに全員を合わせるような仕事の進め方を強いられると労働強化が甚だしくなる。

 

②「仲間」と呼べる同僚がいる

多くの仕事はチーム単位でなされる。同僚との関係性が重要になる。仕事でつまづいたり、悩んだりしたときに助け合う関係があれば働きやすくなる。①で述べたような仕事の覚えが悪い社員や仕事が遅い社員がいても、できる社員が手助けをし、しかもその社員が手助けをすることが当たり前だと考え、そういう雰囲気がある職場は働きやすい。

 

③社員に決定権がある

決定権があるといっても、もちろん経営に関することではない。現場ベースで予算や職務の大枠内で、社員に決定権がある職場のことである。

仕事のペース・手順・方法、職場によっては仕事の具体的内容について、一定の決定権が社員にある職場では働きやすい。この決定権がない職場では、仕事が単純労働になり、「疎外された労働」になるおそれがある。会社側から仕事内容や遂行方法を一方的に決められ、現場の声が聞き入れられない職場は社員のモチベーションも上がらない。現場にある程度の裁量があれば、各社員の創意工夫が活かされる。

 

以上が僕の考える「働きやすい職場」像である。このご時世に何を甘いことを言っているのだ、と言われそうだが、上述のような職場でも十分に生産性は上がるはずである。

 

社員の働き方に関する満足度が低い会社は、遅かれ早かれ業績は悪くなると僕は思っている。

会社の最も大切な財産は「人」である。

 

働きやすい職場を考えることは、話を広げて、暮らしやすい社会につながっていく。

 

人それぞれに個人差があり多様性を認める社会、色々な人たちがいて一つの価値観によって排除されない社会が、健全で暮らしやすい社会なのだと、僕は思う。