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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

ダメ人間でも楽しく幸せに生きていけるはずだ、という件

生きるということ よもやま話をしてみる

僕はダメ人間である。

常に働きたくないと思っている。

正社員として働いても長続きしない。

不登校の経験があり、学校(特に小中学校)が嫌いだった。

 

ちょっとだけ本音を言っておこう。

僕は骨の髄までダメ人間ではないと思っている。

会社至上主義・学校至上主義のもとでの価値観においてのダメ人間なのである。限定的なダメ人間であるといえる。

公務員や正社員のときの上司や同僚の評価は決して低くなかった(はずである)。

専門学校で講師をしているときも学生からのアンケート評価では上位だった。

社労士時代の顧客や関係者からの信頼も厚かった(と思っている)。

 

要するに中途半端なのだ。

その気になれば、なんとかこなせる。

これがいけない。

根が怠け者のダメ人間なくせに、「全うな人間」として振舞うことができてしまうのだ。

そのため悲劇(?)が起きる。

ある程度の期間、全うな人間として振舞っていると精神に変調を来たすのだ。僕の場合はうつになってしまう。仕事の形態や内容に関係なく、他者からの評価を得て、責任を負うことになると息苦しくなってしまう。

人は単なる逃避だと僕のことを批判するだろう。

しかし、僕の人間としての本質は変えられない。

 

先日、ブックオフで『だめ連宣言!』を購入し、今読んでいる。10数年前に話題になった「だめ連」の人たちの集大成的な著書である。全てに共感するわけではないが、僕の今の生き方に通ずる部分も多くある。

「だめ連」の活動が活発だった1990年後半から2000年初頭の頃は、僕は全うに生きようともがいていた時期だった。だから当時だめ連の活動やこの著書に目が向かなかったのだ。

 

僕は40歳を過ぎてようやく自分の本性に気付くことができた。20代から30代の頃は仕事をバリバリこなし、社会的な評価を得ることが当然と考え、そのように振舞っていた。またそうでない生き方は負け犬であり、社会のゴミだとすら思っていた。競争社会で勝ち残ることこそが至上の価値だと考えていた。

僕はどうかしていたのだ。

僕の本質は、学校組織に馴染めず不登校をした小学校5年生のときの僕なのである。

それを忘れていたのだ。

いや、その事実に目を背けていた、という方が正しい。

 

僕はダメ人間なりに楽しく生きようと思っている。

競争社会を否定するものではないが、僕は一歩距離を置いた生き方をしようと思っている。

 

ダメ人間にとっては今は生きづらい社会であるのが現実である。

でも、ダメ人間でも幸福を追求することはできるはずだ、と僕は思っている。