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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

日本に「独裁者」は馴染まないという件

歴史に関連したことについて考えてみる 社会について考えてみる

「独裁者」といえば誰を思い浮かべるだろうか。

ヒトラースターリン、最近では北朝鮮金日成・成日・正恩一族だろうか。

現在の世界でも独裁者は存在する。圧政を敷いている者もあれば、貧困層に絶大な人気を得ている者もいる。日本では独裁者と言うと負のイメージで語られることが多い。絶大な権力を一人で握り、周囲には一族や息のかかった側近を侍らせ、好き放題に政治を私物化しているというイメージである。

 

日本の歴史を振り返ってみると、独裁者というべき人物は殆ど見当たらない。古代の天智・天武天皇織田信長くらいであろう。近代に限ってみれば、独裁的権力を行使したのは大久保利通東條英機が思い浮かぶ程度である。これらの人物に共通しているのは治世が長く続かなかったことだ。織田信長大久保利通に至ってはクーデターや暗殺で倒れている。

東條英機は戦時中に首相と陸軍大臣と陸軍参謀総長を兼務して権限の集中を図ったが、あっけなく倒閣されている。東條は戦後のプロパガンダで「悪」の独裁者というイメージが広がったが決してそうではない。彼の経歴や思考等は単なる軍官僚である。近衛文麿が政権を投げ出したために、陸軍の押さえが利く人物として東條英機が首相に任命された。この際昭和天皇から日米交渉を進めて戦争回避努力をするように指示され、東條もその意に沿った行動をしている。そもそも、誰かから任命・指示され、あっけなく政権を奪われる独裁者なんていない。東條は確かに独裁的権力を確立しようと画策したが、そのことが倒閣運動を推し進める要因となった。

 

ここに日本社会の特質が垣間見えるように思う。

 

日本では独裁者および独裁的に振舞う者を忌避するという特徴があるということだ。

これは民主主義思想によるものではない。

おそらく「和」を重んじ、話し合いによって物事を決めることが良しとされる文化が色濃く影響を与えている。また、傑出した人物・突出したことを好まないことも影響している。みんなで決めたことをきっちりと守ることが尊いとされる社会ともいえる。ある意味「民主主義的」ルールが昔から存在したといえる。

 

企業社会において、ワンマン経営者は多くいたが、一般的に肯定的に捉えられていない。業績を飛躍的に伸ばし、会社を大きく発展させたワンマン経営者は、いっときは賞賛される。しかし、業績の悪化やちょっとしたスキャンダルが発覚すれば激しいバッシングを受ける。同時にワンマン経営の弊害が殊更に強調されるきらいがある。

 

このように日本社会あるいは日本人は独裁的な人物を好まない。

独裁者は日本の風土には馴染まないのである。

 

このことについては賛否があるだろう。

 

日本の現在の閉塞状況は強いリーダーが不在だからだとよく言われる。

確かに一理ある。

しかし、他方でわが国の風土は、一人の人物に絶大な力を与えずに暴走を食い止める防波堤になっているともいえる。

僕はこの考えに組したい。

 

人間は全知全能の神ではない。

人は不完全な存在である。

 

ひとりの人間を完全に信頼し、心酔し、疑うことなく従うことは、とても危ういことだと思う。