希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

今の社会では生きやすいから会社人間(社畜)になるという件

会社に自分の存在意義を見出す「会社人間」に対して、否定的・批判的な言説をする識者は多い。代表的なのは「社畜」という言葉を世に広めた佐高信氏である。この言葉は今では一般的に使用されるようになっている。

 

僕もこのブログで、会社組織に埋没する愚かさや仕事人間に対して懐疑的なことを述べてきた。

 

今一度自分の心の奥底を眺めてみた。

僕が会社人間になれなかったというルサンチマンがあったのは否定できない。会社組織にうまく適応できる性格であったなら、僕は会社人間・仕事人間になりたかったのだ。正直なところ、いきいきと仕事をこなし、愛社精神を持って働いている人たちに対しては少し羨ましさを感じたりすることがある。

 

多少の批判や否定的見解があるとはいえ、会社人間は日本社会では受け入れられている。日本社会のマジョリティだと言ってもよい。ある会社等に属して、そこで正規雇用で長期間働くことが良しとされている風潮が根強く残っている。

社会的な信用も高い。

僕も経験したことだが、フリーランスや自営、非正規雇用とは雲泥の差がある。例えばクレジットカードの審査が通りやすい、賃貸住宅に簡単に入居できる、ローンが組みやすい等々枚挙に暇がない。

結婚や恋愛においても差が出る。僕が公務員だったときには、恋人の両親の受けも良かったし、婚活パーティではよくアプローチを受けたりした。

逆に離婚のケースはどうだろう。会社人間で仕事にかまけて家庭を顧みないことで離婚に至るケースが多々ある。この場合、家庭を顧みなかった夫を責めるか、その夫を支えきれなかった妻に非がると捉えるかである。欧米では前者であろう。しかし、日本では後者と考えることが多いのではないだろうか。

 

相変わらず会社人間は、今の社会では生きやすいのである。このメリットは大きい。

会社に居場所があることは精神衛生上良いことである。精神的に安定した状態で仕事に打ち込める。

マイナス面として、過剰に仕事を受け持ってしまう虞があることだ。これが過労死や過労自殺につながっていく。過労死や過労自殺に至ったケースを見ていくと、鬱病や身体疾患を発症する途中のシグナルを見落としていることが多い。仕事に対する義務感・責任感などがそのシグナルを覆い隠してしまうのである。

 

会社人間から脱して、仕事自体を中心に捉えた自立的な生き方を主張する言説もよくなされる。しかし、このような「自立的」な働き方ができるのはほんの一握りの人たちである。

高待遇を得るため、あるいは安定した状況で働き続けるためには深く会社にコミットメントする会社人間にならざるを得ない。

これが現実である。

自分のスキルを頼りに会社を渡り歩くことができるのは一部の人だけである。あるいはスキルなしにできるのは天下り官僚だけだ。

 

過労死や過労自殺に至らず、また心身を壊さない程度の働き方ができるのならば、会社人間は幸せな生き方といえるかもしれない。

安定した生活を営むことができる。

自分の「居場所」がある。

仕事内容が少々つまらないと感じていたとしても我慢ができる。

 

一部の「識者」と呼ばれる人たちの気まぐれな言説に惑わされてはならない。

 

「普通」に会社人間として人生を全うしていくことも立派な生き方である、と僕は思う。