希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

選挙を棄権することは立派な意思表示だという件

僕はいわゆる無党派層である。

政治には大いに関心がある。

選挙によっては投票に行かないこともある。

僕としては選挙の棄権は積極的な意思表示である。政治は誰が行っても同じだとは考えていない。政治家の持つビジョンや実行力でこの国のありようは変わると思っている。

ただ、僕の住んでいる地域の選挙区の立候補者の顔ぶれや各政党の公約がひどいと感じるときには投票を棄権する。

 

良識」のある人たちは選挙権の行使は尊い何にも変えがたい行為であり、国民の義務に近いものだとの言説を流すことがある。

確かに正しいことを言っている。

普通選挙を実施するために、選挙権を獲得するために、先人達が血と汗を流してきたことも知っている。

主権が国民にあり、その国民主権の理念を具現化したものが誰もが等しく持つ選挙権だということも十分分かっているつもりだ。

 

選挙権はひとつの権利である。

権利を行使するか否かは自由なはずである。

選挙を棄権することは、今の政治にあるいは政治システムに不信任を突きつけているのだと僕は解している。

それでも、良識ある人たちは言う。

駄目な政治家を落選させるためにも投票は必要なのだと。

現実はそんなに単純なものではない。

落選した方が世のため社会のためになる政治家ほど、カネがあり地盤があり、まず落選しない(余程のスキャンダルがあれば別だが)。

一方、特別なコネがなくて志があり有望だと思える人はほぼ落選する。

これが現実である。

僕たちは幾たびもこのような茶番ともいえる選挙を見てきたので、シニカルにならざるをえないのである。

 

もっと分かりやすく、具体的に僕の心象風景を述べてみよう。

表現方法が品がなくなるがお許しを。

 

僕は選挙があるたびにこう思う。

バカとマヌケと欲に塗れたオヤジとイデオロギーの奴隷の中から選べ、とは何の罰ゲームだよと。誰を選んでもこの国を悪くはすれ良くはならないだろうと。

 

実際に殆どの候補者は、バカな二世・三世、業界の利益しか考えないバカ、売れなくなったタレント、官僚の落ちこぼれ、新興宗教の利益代表者、イデオロギー信奉者で占められている。

そしてこれらのバカたちが通りやすい選挙システムになっている。もっと具体的に言うと、カネか地盤か知名度を持つ者が政治家先生になれるのだ。

政治家先生たちは官僚どもに陰でバカにされながらも、先生と祭り上げられて、うまくコントロールされる。官僚どもの傀儡というだけの存在に成り下がる。

 

僕は政治システムや選挙制度がどうあるべきかということは分からない。制度だけを変えても駄目だということは分かっている。

 

僕の拙い考えを述べてみよう。

まず、世襲の候補者は、政治家であった親や親族とは別の選挙区からしか立候補できないようにする。立候補そのものを禁止することは違憲となるので、制限を加えるだけにする。

そして政治家の「通信簿」を公表する。どんな立法に関わったか、どのような法案に賛成・反対票を投じたか、選挙活動時の公約などを全政治家(国会議員地方議員・自治体の首長)対象に一覧にして公表する。ネットでは似たようなサイトがあるが、もっと全活動を網羅したものを作る。

それをネットに公表し、そのサイトの存在をテレビ・ラジオ・新聞・週刊誌等のメディアを通じて告知し多くの国民が閲覧できるようにする。また年に一度冊子にして希望者に無料で配布する。

この「政治家通信簿」にかかる経費は税金を使ってもいいと思う(ただし無駄遣いにならないようにシンプルにする)。

 

僕は政治に希望を持ちたい。

この国はもっと良くなるはずだと信じている。

 

僕の持つ一票によって何かが変わる、という実感を持てるようになりたいと切望している。