希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「成功体験」はそれほど重要なことなのかという件

自己啓発系の著書やセミナーでよく語られているのが、「成功体験」を持つことの大切さである。小さな成功体験を積み重ねることによって、自分に自信が持てて、成長し仕事の成果が上がるということだ。

この考え方は概ね正しいように思われる。

小さくても、成功体験を持つことによって、自分の存在意義を確かめられることができる。自己肯定ができる契機になるだろう。

 

しかし、僕はこの「成功体験」を得ることが成長の源になるという考え方を全面的に肯定することはできない。

 

時として、この「成功体験」に縛られ、以後の成長を阻害することも多々あるからである。

また、なまじ成功体験を持つがために、その人の器が小さくなってしまうこともある。

 

僕が転職活動の際に経験した話をしてみよう。

僕は社労士を廃業しようと思い始めた頃に、業務の暇を見つけて転職活動をしていた。大企業はハナから諦めていて、中小企業にターゲットを絞って活動をしていた。

そして、面接の時に採用担当者が自分が上げた実績を滔滔と語りだすことがあった。しかも一社だけではない。聞くこちらとしてはたまったものではない。僕は職を得るために面接に臨んでいるわけであって、しょうもない成功話(しかもスケールの小さい)を聞きにきたわけではない。時間の無駄以外の何物でもない。僕は即見切りをつけて、面接に身が入らなくなった。当然に結果は×である。

僕はその時に「器の小さい人間だな」「所詮ここまで止まりだな」と、上から目線でそれらの採用担当者を醒めた目で見ていた(上から目線は反省すべき点だが)。

 

僕が当時お付き合いのあった経営者・創業者の人たちは、決して自らの成功体験を語ることがなかった。それらの人たちは異口同音に運が良かっただけだと言っていた。謙虚さからだけの言動ではなく、おそらく小さな成功体験に拘っていると事業の発展は覚束ないと考えていたのであろう。

僕はこの考え方は健全で正しいと思う。

 

話は大きくなるが、日本が誇る有名企業が過去の成功体験に拘って、低迷を続けているのは当然の結果だといえる。

 

一時の成功体験に基づいた考え方を引きずって、他者にそれを強要することは明らかに間違っている。成功者の話を盲目的に信じてはならない。

 

人生においては失敗の方が多い。

失敗から何かを学びとり、それを生かして大きな成果を得ることの方が意義あることのように思う。成功者の話においても、失敗談が主な内容なら聞く価値はある。

 

小さな成功体験を積み重ねるよりも、失敗を繰り返す度に深い反省と学びを重ねる方が、大きく成長し成果を得られる、と僕は思う。