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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

愛国心教育は本当に必要なのかという件

よもやま話をしてみる 社会について考えてみる

またまたアベちゃんが愛国心がどうのこうの言い始めている。愛国心というか公共心も含めて、まずは政治家や官僚どもに言うのが先だろう。国益や国民の利益を顧みない政治家や官僚などははっきり言ってムダ以外の何物でもない。いや、害虫か寄生虫といった方が正しい。

 

政治家どもにいちいち言われなくても、僕たちは愛国心を持っている。ワールドカップやオリンピックでは日本を応援してるし、国際社会で日本人が活躍すれば拍手喝采をおくる。

もしも、どこかの国が侵略してきたら、僕たちは自分なりの方法で戦う。僕はトシなのでパルチザンの後方支援か何かに志願するだろう。

でも、政治家や官僚、エスタブリッシュメントらは勘違いしてもらっては困る。お前達のために戦うのではない。お前達の既得権益を守るための戦いなんて真っ平ゴメンだ。僕たちは自分が大切にしている家族や友人、生まれ育った故郷を守るために戦うのだ。

別に(最悪の場合)為政者が外国人なったって構わない。僕達の生活と安全が保障されればそれでいいのだ(やっぱり日本人の為政者が良いに決まっているが)。

 

教育によって愛国心が涵養されると考えること自体頭が悪い。仮に教育によって愛国心らしきものを持つ人間が生まれてきたとしても、それは真の愛国心ではない。

 

愛国心とは、日々の生活の中で自然発生的に育まれていくものである。このように根付いた愛国心は強い。教育によって培われた愛国心などマインドコントロールみたいなもので、薄っぺらいものだ。

 

政治家やエスタブリッシュメントの言う愛国心は己たちに都合の良い代物に過ぎない。国家に従順で反抗もせず、いざという時に尖兵となってくれる人間が欲しいだけなのだ。

政治家や官僚達がこれからもずっと永続させようとしている既存のシステムを守りたいだけなのである。庶民の生活など二の次なのだ。

庶民をバカにしてもらっては困る。

政治家どもが「愛国心」を口にする裏には、そうした魂胆があることが、僕たちには分かっている。どんなに美辞麗句を並べ立てようとも、卑しい性根が透けて見えるのだ。

 

百歩譲って、もし愛国心教育を行うとしたならば、歴史を正しく教えて、人間として持つべきプライドや気概がどのようなものなのかを教えるだけで良いのではないだろうか。

ただし、強制してはいけない。

プライドや気概を持つことの大切さをできれば具体例を挙げて示し、今後生きていく上で徐々に身に付ければよしとする。

 

愛国心を国民なら皆持つべきだというのは、偏狭な価値観である。

国家を信じない人がいても良いし、そういった人たちを排除しない社会こそが健全な社会である。