源氏と平氏との戦いを題材にしたドラマや映画、小説は数多い。特に大河ドラマをはじめとするドラマでは源義経を主役に据えたものが多く、源平の戦いを壮麗に描いている。しかし、あくまで源氏の棟梁は頼朝であり、彼がいなければ源氏の勝利はなかっただろう。頼朝は人気者の義経を死に追いやったために、一般大衆の人気は低いが歴史上有数の傑物である。
今の時代に生きる僕たちは、頼朝が(源氏が)平氏を打ち滅ぼしたのは当然のことのように思っているが、これは誤った考え方である。平清盛と平氏を悪役にしたドラマ等が殆どのため、「正義」の源氏が勝つのは当たり前だという、勧善懲悪的な考え方に染まってしまっているのである。
事はそんなに単純なものではない。
平家が武士政権を樹立していたとしても全く不思議ではないのだ。
さて、源平合戦が始まるまでの頼朝の境遇を見てみよう。
頼朝は伊豆に流された流人だったのである。
平治の乱で頼朝の父義朝は清盛に敗北し、逃亡先で非業の死を遂げる。頼朝も捕らえられ、死罪になるところを、清盛の義母池禅尼の助命嘆願により、流罪になったのだ。
つまり、頼朝は罪人であり、自分の軍団も持っていなかった。
一方、平家は栄華を極め、一族は朝廷の要職を占め、日本の半分の国の知行主になっていた。軍事力は強大で、経済力も桁外れのものだった。
どう考えても、99.9パーセント頼朝には勝ち目はない。
頼朝の挙兵当初は、軍団の数は数百人規模に過ぎなかったという。しかも、一度平家方に大敗を喫し、命からがら逃げたこともある。
その後、続々と頼朝に味方をする武士団が現れて、遂には平家打倒を果たす。
ここで、疑問が湧いてくるはずだ。
なぜ、東国の武士たちは頼朝の許に馳せ参じたのだろう。確かに父義朝は東国に地盤を築いていた。しかし、圧倒的な力を有する平家に反逆するのは得策とはいえない。負けてしまうと一族の滅亡になりかねない。
この理由として、以前のエントリでも書いたが、東国武士達の平家に対する不満が高まっていたことがある。武士たちは自分の権益を保証してくれる政権を望んでいた。そして、どうも頼朝に勢いがあるぞ、と情勢を見極めて頼朝に味方することにしたのだ。
時の勢いというものは恐ろしい。
頼朝の地滑り的大勝利が実現してしまった。
この「地滑り的大勝利」とは、歴史上時たま起こる不思議な現象である。論理的・客観的には全てを説明できないものなのだ。
最近では、自民党総裁選で小泉純一郎が戦前の予想を覆して大勝利したことがある。旧社会党が参議院選挙で土井たか子ブーム・マドンナブームを起こして勝ったこともある。民主党の政権交代も当てはまるだろう。
ただ、これらの出来事は、とうてい頼朝の地滑り的大勝利のスケールには及ばない。歴史上はじめて武家政権が樹立されたのだから。そして、頼朝の、源氏の勝利は、歴史上最大の奇跡だといっても過言ではない。アリが象を倒したようなものだ。
この「地滑り的大勝利」という現象は今後も起こる可能性がある。
時の勢いというものの凄さと怖さがある。
ただし、地滑り的大勝利によって為政者を選び出したとき、僕たちは警戒することを忘れてはならない。
ひとときの熱狂は、時として人の判断を狂わせるものだから。