希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

歳を取ると、ハードルが上がること・下がることがあるという件

表題にも書いたように、歳を取るとハードルが上がることと下がることがあることに最近気付いた。

 

まずはハードルが上がることについて。

 

何といっても、再就職の条件が厳しくなることである。少々の学歴や職歴を保持していても、ほとんど相手にされなくなってくる。ごく一部の輝く職歴を持ち、高パフォーマンスが期待できる人は例外で、普通のサラリーマンでは中堅企業以上の正社員の職を得ることは困難である。

以前のエントリでもふれたが、日本の雇用慣行では中高年齢者の給料は高いので、なかなか採用されないのである。

ただ、職務給的な派遣社員や嘱託ならまだ採用される余地がある。また、中小・零細企業なら給料額さえ目を瞑れば正社員として採用される可能性がある。

 

次に歳を取ると、人格が形成され穏やかで物分りがよくなると思われること。

これは全く当てはまらない。

短気なままだし、鷹揚に構えることなんてできないし、他人の一言に傷つくことも多い。まあ、これは僕についてのことで、人それぞれである。

 

一方、ハードルが下がること。

 

まずは結婚である。何も相手のハードルが下がるということではない(僕は相変わらず理想が高い)。親からのプレッシャーが歳を取るにつれてなくなることだ。30代までは「相手はいるのか」「誰それは結婚した」など間接的にプレッシャーをかけられ続けたが、40代になってピタリと止まった。もう親も諦めたのだろう。僕はそのおかげで大変生きやすくなった。

 

次は仕事について。

親は親なりに僕に期待していたのだろう。進学にも就職にも一切口を出さなかったのだが、僕が公務員試験に受かったときにはとても喜んでいた。社労士の試験に受かったときも同様である。

僕が夢破れ、実家に戻ってきてからは、どんな仕事でもいい、働いてくれさえすれば、というようにかなりハードルが下がった。

これまた、僕は生きやすくなった。

 

良い両親を持ったものだ。

本当に感謝している。

 

僕は若いときには両親のためにも、立身出世し家名をあげよう(どちらも古臭い言葉で死語だが)と考えていた。また、そのために自分に高いハードルを設定し、それを乗り越える努力をしてきたつもりである。

しかし、無理なものは無理である。

6年前に他界した父には、いつも心の中ですまないと詫びている。期待を裏切ったバカ息子で申し訳なかったと心底思っている。

 

僕自身に課したハードルをぶち壊し、ゆるく生きようと決めた時から、僕は僕の人生を思いのままに生きていると実感するようになった。

草葉の陰で父も、そんな今の僕を認めてくれているはずだと、僕は思っている。