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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

何故、武士が政権を奪取できたのか、貴族が没落したのかという件

昨年の大河ドラマは「平清盛」であった。

低視聴率ばかりが話題となってしまったが、内容は重厚で見応えのあるものだったと僕は思っている。

 

一般に武士の世の中を作ったのは源頼朝だと思われているが、その先鞭をつけたのが平清盛である。清盛はドラマ等で悪役扱いされることが多かったため、不当に低い評価を受けているが、その功績はかなり大きい。ただ、平氏一門で要職を独占してしまったことと、武士の権益の保護が不十分だったために短命政権に終わってしまった。

 

なぜ要職を占めたのに短期政権に終わったのか?

それは、既存のレジューム(朝廷・公家社会)での政権であり、新たな武士独自の政権を創造できなかった故に限界があったためだ。武士が本当に何を切望しているのかが十分に理解できていなかったのだ。

 

しかし、これは無理もないことだ。それまで武士の政権など存在しておらず、どのような統治機構にすればよいのか前例がないために創設することが困難だったからである。事実、鎌倉幕府においても、年月を経るたびに何度も統治機構を変えている。

 

では、武士が最も望んだものとは何だったのか。

それは自分の所領に対しての所有権の公的な保証である。

武士の起源には幾つかの系統があるが、多くは開発領主が武装化した集団である。要するに私兵の集団である。当時の律令制の下では、土地は国のものであり、一部の特権階級である貴族の私有地(荘園)以外は私有を認められなかったのだ。

武士としてみれば、自らが汗水流して切り拓いた土地の所有が公的に認められないことは悔しいし不条理を感じる。

そこで、武士の権益を保障してくれる武士のための武士による政権を望んでいた。

この事実が公家政権の崩壊の大きな要因となる。

 

では、何故公家が政権の座からすべり落ちたのか。

 

まずは政治(マツリゴト)の姿勢に問題があった。庶民や武士の生活の安定という視点・考え方を欠いていた。むしろマツリゴトとはヨゴレ仕事であるとさえ考えていた。和歌を詠み、宮中儀礼を行うことだけがマツリゴトだと考えていたのだ。また、出世や蓄財という私利私益のみに現を抜かす公家が大半であった。一部今でいう政治改革・行政改革をなそうとした者もいたが、彼らはことごとく既存の勢力に潰されている。

次に「軍事力」の問題である。国家存立の要として国軍の存在がある。ところが平安時代には国軍が廃止されたのだ。治安維持が国家独自にできなくなったのだ。源氏や平氏という一部の軍事貴族が存在したが、その軍団は源氏・平家が独自に徴用したものである。

したがって国内の反乱にあたっては(平将門の乱藤原純友の乱前九年の役後三年の役等)、国軍が存在しないため、私兵である武士の力に頼るしかなかったのである。こうした経緯を経て武士の台頭が促される。

 

武士にいくら武力があっても政権を奪取することはできない。彼らを糾合する有能なリーダーの存在が必要である。そのリーダーが平清盛であり、源頼朝だった。

源頼朝は平氏政権の失敗を学び、また東国武士の実情を鑑みて、独自路線を採った。京の都ではなく鎌倉に本拠地を置き、東国独立政権を樹立したのだ。そして時代を経て、西国までに影響力を及ぼした。

 

歴史は繰り返されるという。

流石に現行の自衛隊のクーデターという可能性は皆無である。

 

大衆の切実な願いを叶えてくれそうなカリスマ性のあるリーダーが登場したとき、民衆は熱狂して彼・彼女を支持し、為政者の座に引き上げることがあるかもしれない。日本は「和」を大切にする国であるから、その可能性は限りなく低いだろう。しかし、ゼロではない。

 

その熱狂で迎えられたリーダーが独裁者やファシストに変わることがあるかもしれない。

日本では独裁者を排除する力学が働く社会である。

そのリーダーが庶民の生活を蔑ろにするようなことがあれば、すぐに見限るという庶民のリアリズムがある。

 

これらの高い防波堤がある限り、余計な心配は無用だと、僕は信じている。