希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「ブラック企業」が問題になることは、もしかすると日本社会が進歩したのかもという件

僕が正社員として働いていたとき、最も嫌だったのは残業することが当たり前という考え方が支配的だったことだ。自分の仕事が終わらない時は仕方ないと思っていたが、付き合い残業をさせられることがたまらなく嫌だった。

ただ、当時は今ほどの長時間労働が常態化していなかったし、僕の職場では残業手当が全額支給されたのでまだましだったといえる。

 

さて、今回も「ブラック企業」について書いていこうと思うのだが、既にこの問題については優れた著書も出ているし、僕なりの考えを述べていくことにする。

 

そもそも、日本では昔から長時間労働・低賃金の雇用形態が存在していた。時期によってその性質は異なる。資本主義の黎明期、明治から大正、昭和前期にかけては、工場労働者の労働環境は劣悪そのものだった。紡績工場の女工なんて、人身売買によるものもあったし、1日16時間労働なんてざらだったらしい。しかも低賃金で前借金と相殺されるので手元にはわずかな金額しか残らない。労働基本権なんてなかった(労働運動は弾圧の対象だった)。資本家は搾取し放題で、軍部や政治家と結託するわで、今よりも腐敗していた。今以上の格差社会であった。

そして戦争が終わり、高度経済成長期にはホワイトカラー・ブルーカラーともに遮二無二働いた。海外からはワーカーホリックと批判されようがお構いなしだった。おそらくこの頃から「過労死」した人は大勢いただろう。過労死が社会問題となってくるのはバブル崩壊前後の時期だったと思う。

 

このように先人達は企業戦士として、長時間労働も厭わず休みの日にも働いて日本の経済大国化への礎になってくれたのである。

 

ここで疑問に思う。

その時は「ブラック企業」(こんな言葉はなかったが)的な会社は社会問題にはならなかったのだろうか。

僕の記憶する限り、噂レベルであの会社は(あるいは業界は)キツイとか人づかいが荒いとかそういった話はあったが、社会問題にはならなかった。

 

ではここ数年のうちになぜ「ブラック企業」が社会問題となり、この言葉が一般的に知られるようになったのだろう。

上述したとおり、戦前の会社の方が労働者をこき使っていた。いや、人間扱いさえしていなかった場合も多々ある。戦後にしても労働環境が今より良かったなんてとてもいえない。

 

高度成長期の「ブラック企業」的な会社たちが社会問題とならなかった要因の一つとして、やはり終身雇用・年功序列・企業別組合という日本の会社特有の三種の神器が生きていたからであろう。無茶な労働条件を強いられていても見返りが期待できたから、声をあげなかったのだ。異論のある者は会社を辞めていっても、再就職先は確保しやすい状況であった。

また一つの会社に忠誠心をもって文句を言わずに働くことを美徳とする労働観が支配的な考えであった。

ちなみに戦前までは、日本社会全体が貧しく、働けるだけでもありがたいというメンタリティもあっただろうし、社会保障制度が皆無だったこともあり、劣悪な労働条件を受け入れても働かなければ生きていけなかったのだろう。

 

ブラック企業」が社会問題になるということは、日本社会の成熟・進歩の顕れなのだと思う。昔から資本家・経営者は搾取する存在であり続けた。労働者側は一時期労働運動の盛り上がりを見せたものの、結局は敗北し、現在に至る。既存の企業労働組合にはもう期待はできない。

 

ブラック企業」の存在を世に知らしめ、社会問題化させた原動力の主体はNPOや弁護士・地域ユニオンなどである。彼ら彼女らの地道な活動によるものである。労働組合労働組合の連合体によるものではなく、いわば個人の力、個々が連帯した運動体の力なのである。

僕はこの点に光明を見出すのである。