希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕が公務員を辞めた理由、そして漂泊し続けている件

僕は大学を卒業して政令指定都市の地方公務員となった。その都市は僕と縁も所縁もない土地で、単に都会でかっこいいと考えて選んだものにすぎなかった。進路として公務員を選択した理由も、実に浅いもので、深く考えた末のものではなかった。大学3年までにほぼ単位を取得し、サークルも引退したので、暇だったから公務員試験の勉強でもしてみようとふと思い立ったのだ。それと企業に入り、ひたすら企業の儲けのために邁進する自分の姿が想像できなかったということもある。

 

さて、多少の夢と希望をもって役人生活を始めたわけだが、やはりというべきか失望に変わるのに時間はかからなかった。

最初に配属されたのは出先の区役所の保険年金課の国民健康保険係だった。主な担当は保険給付の書類審査と支給事務だったが、ローテーションで窓口を担当するので、そこでは保険料の取立ても行った。国保というのは(保険料が高いので)クレームの多い部署で、結構精神的に疲れるものだった。また、その部署は働かない公務員の典型みたいな人たちの巣窟で、僕の仕事量の半分以下しかない職員が、僕よりも給料を倍以上貰っているという不条理を感じた。まぁ、公務員というのは年功序列のガチガチの組織なので、仕方がないのではあるが。

僕はその部署に3年間在籍したが、その時は辞めようとは思っていなかった。残業時間は月に30時間程度で残業手当も全額支給されたし、有給休暇もある程度自由に取れたし、何より辞めてからのビジョンがなかったからである。

 

そして、次の配属先が僕が最も行きたくないと上司に面談で伝えた部署だった。忍耐力を試す人事なのか、単なる嫌がらせなのかは今でも分からない。おそらく、前者なのであろう。

 

僕は残業が嫌いである。そこで、自分の担当する業務の効率化を図ることにした。僕の前任者は月に100時間前後の残業をしていたが、3ヶ月後には20時間程度に削減することができたのである。しかし、直属の上司がこのことを不快に感じていたのだ。当初は退庁間際に仕事を振ってきたり、わざと決裁を遅らせたりしていたのだが、ついには面と向かって「もっと残業をしろ」と言ってきたのだ。その上司の言い分は、残業時間が少ないのは働きが足りない、その態度では出世はできないということだった。この時に僕の心の中の何かが弾けたように思う。ほどなくして僕は退職を決意した。

 

今となっては、この公務員としての経験は後々活きることになり(社労士試験と実務に役立った)、無駄ではなかったと思っている。

 

公務員を辞めた後、僕は専門学校の講師(はじめは正社員でのちに非常勤として掛け持ちに)となり、社労士として独立し、13年間自営した後に故あって廃業し、高齢者福祉の世界に足を踏み入れた。福祉業界では3社正社員として渡り歩き、今は一旦休んでいる。漂泊を続けているのだ。

 

僕が公務員を辞めた理由なんて、取るに足らないもので、甘いと思われるはずだ。もっと過酷な状況で働き続けている人なんて山ほどいる。それも重々分かっている。

 

僕は公務員を続けられない、いや公務員に限らず正社員を長く続けられない人間なのだ。世間一般のサラリーマンからみれば、ダメ人間なのだ。

20代から30代の頃は、僕なりに全うな社会人になろうと努力してきたし、それなりの成果が上がった時期もある。

しかしながら、本質的に僕は現在の社会で求められる「全うな社会人」にはなれない気質を持っていると、最近になって思い知ったのだ。

 

ならば、中世の漂泊の民のごとく、安定を求めず、さまよい続けながらも、何とか生き延びていこうとしている。