希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

スキルアップして、自己実現に邁進して、それからどうする?という件

僕はビジネス書はほとんど読まない(はっきり言って嫌いである、笑)が、たまにビジネス雑誌を立ち読みしたり、ウェブでビジネス関係の記事を読んだりする。

そこで引っかかるのが、スキルアップに関する記事がやたらと多いことである。経済のグローバル化や社会構造の変化等により日本の企業も変わらなければならない。当然に社員の意識・働き方も変わらなければならない。働く側としては、この新しい潮流に対応するためには常にスキルアップを図らなければならない。・・・まさしく正論である、と一見そう思われる。

 

日々スキルアップのための勉強をし続け、常に最新のビジネス情報にアクセスし、向上心を持ち続ける。・・ん、疲れないか、と僕みたいなダメ人間は思ってしまう。

人材コンサルタントの常見陽平さんは「意識高い系」の人たちの一例として、そのような人たちをあげている。常見さんは著書『「意識高い系」という病』の中で、自己実現に邁進する人々の滑稽さを鋭く分析している。

また、サラ・イネスさんの漫画『誰も寝てはならぬ』の中で、主人公たちが気になっている女性が交際しかけているエリートビジネスマンが「意識高い系」「ポジティブ・シンキング系」として描かれ、主人公たちはその彼に対して「ろくなもんじゃねぇ!」と吐き捨てる場面がある(その女性はすぐに別れた)。主人公たちは勤労意欲の低いダメ人間(しかし才能は豊か)なのだが、僕は当然のことながら、そのダメな主人公たちに共感するのである(ただし才能はない)。

 

僕はスキルアップ至上主義的なものに、以前から違和感を感じ、もっといえば胡散臭さを感じていた。上述の常見さんの著書を読んでかなり腑に落ちたのである。

なぜか?

第一に、そのスキルアップの内容が果たして価値のあるものだろうかという疑問である。もっと具体的にいえば、短期間で陳腐化しないのかという点である。小手先のノウハウばかりではないかという疑問である。

 

第二に、スキルアップしても実際のビジネスで通用するのかという疑問である。例えば社内でスキルアップを図ったとき、その会社で働き続ける限りは社内で通用するだろう。給料は上がり昇進もするはずだ。しかし、転職したときに果たしてどの程度通用するのかは未知数である。

 

第三に、そのスキルアップの内容が、あまりにビジネス用に偏りすぎているのではないかという疑問である。僕も人は一生涯勉強を続けるものだと思っている。仕事を続ける限り、ビジネスに関する勉強はしなければならないことは分かっている。しかし、スキルアップ=教養となっていない場合が多いような気がする。僕は今後のビジネスシーンにおいて、この「教養」が一層重要になってくるはずだと思っている。文科系ホワイトカラーの場合、文化・歴史・哲学・芸術など人文科学や社会科学の知識もある程度必要になってくるのではないだろうか。

 

そして、「意識高い系」「スキルアップ至上主義」に陥っている人たちは、僕のような人間を見下す傾向にある(僕は一向に構わないが)。つまり自分の(浅い)人生観を他人に押し付ける傾向があるように感じるのだ。またそのような人たちは自分を良く見せようとするし、自分を「盛る」し、他人から高い評価を得ようと必死であるように見える。僕の僻みなのだろうか。

 

意識を高く持ち、常にスキルを磨いても、すべての人が成功するわけではない。そんなに努力して成功に至らなかったときの落胆は大きいはずだ。僕はこのことも他人事ながら心配なのだ。

 

また僕が嫌だなと思うのは、このスキルアップ至上主義を煽って金儲けを企んでいる一味がいることと、経営側もその煽りを利用して、社員を使い倒してやろうとする図式が透けて見えることだ。

 

勉強をする目的は自分の見識を広めるためであり、よりよく人生を送るためのものである、と僕は思っている。いや、目的など必要ない、ただ勉強することが楽しい、それだけでいいのじゃないか。・・近頃はお気楽にそう考えるようになってきている。