希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「安定」とは幻想に過ぎない件

多くの新卒の学生が就職先として大企業や公務員を希望するのは、「安定」を求めているからだろう。一部の識者は「最近の若者は冒険心がない」などと言って安定志向を批判するが、安定した生活を求めることは当然であり、お門違いの批判である。

 

大多数の人は定年まで安心して勤められる職場で働きたいし、結婚して、子供を育て、できれば持ち家を所有したいと思っている。平凡で変わり映えしないのかもしれないが、ささやかな幸せを掴みたいと望んでいる。その前提条件として「安定」がある(と一般には考えられている)。

 

戦後、高度経済成長期を経て、日本は総中流社会が実現したかのように見えた。安定を手に入れたかのように思われた。確かにこの時期は、全体として見ると企業業績は右肩上がりで、各企業の社員もベースアップと定期昇給があり、実績を積めば管理職や役員になれる希望があった。ひとつの会社で働き続けるメリットがあった。安定があった。万が一勤めている会社が倒産しても、他に成長している会社が多くあったので、転職も可能だった。そして、その新天地で再び安定した生活を営むことができたのだ。

 

しかし、昨今経済のグローバル化や新市場主義の考え方が優勢となり、また社会構造の変化もあって、従来の「安定」神話が揺らいでいる。

有名企業や大企業でも倒産するご時世となり、新興企業が成長するにはハードルが高くなってきている。

 

現在の状況が異常なのではない。いやむしろ普通なのではないか。「安定」神話が信じられていた一時期(1960年代から80年代)がレアケースだったのである。戦前は「月給取り」の社員はごく一部で特権階級的な存在だった。いわゆるブルーカラー層は会社を渡り歩いていた者が大多数だった。一般的な事務社員も今でいう契約社員や嘱託的な者が多かった。正社員扱いの社員が増えたのは戦時体制によるものだったという。

 

結局、「安定」というのは幻想に過ぎないのだ。「安定」という幻想にしがみついて生きることは、多大なリスクを伴うことになりかねない。「安定」した生活が当たり前だと思っていると、不測の事態に直面したときに途方に暮れてしまう。

 

もともと僕たちは不安定な、綱渡りのような人生を歩んでいるという意識を、心の奥底に抱えておくことが必要なのではないか。常に危機感を持っておくことだ。

 

大切なのは「生き延びる」ことであり、生き延びてこそ、各人の幸せが叶えられることになるのだ。