希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

多様な生き方が許容される社会になるとありがたいと思っている件

良い学校を出て有名企業のホワイトカラーになって、奥さんをもらって子供ができて家を建てて・・・という生活が幸福だと考えられていた、かつての日本社会。

 

いや、今もこの幻想は生きている。確実に。

僕も若い頃はおぼろげにこの幻影に捉われていた。

その証拠に大学卒業後に公務員になってしまった、深く何も考えずに。

 

その公務員を辞めて、フリーランス・独立自営の道に。

今から思えば、他人から良く見られたい、あるいは社会的地位が高く見える仕事をしたいとの浅はかな考えだけで生きていた。

 

30代後半までは能力主義や新自由主義、新市場主義の礼賛者だった。

能力の劣る者は淘汰されるべきだと思っていた。なんという傲慢さだろう。本当に恥ずかしい。

 

様々な人々との出会いによって、僕の人生観は劇的な変化を遂げた。

社会的にマイノリティだといわれている人々

ー引きこもり・精神障害者・ニート・ホームレス・貧困に喘ぐ人等々

だとしても、幸せに生きる権利があるはずだと。

彼ら彼女らを排除する社会、不寛容な社会こそが深く病んでいる社会なのだ。

 

僕の記憶に強烈に残っている人がいる(仮にAさんとしておこう)。

Aさんは物書きだった。10数年前に僕はある劇団と関係していて、そこで知り合った人だ。彼は純粋で優しい、良い人なのだが、金にルーズだという欠点があった。

10年ほど前に、僕がとても世話になってる人から相談があった。Aさんに数百万円貸したまま返ってこないと。話を聞いていると、借りた手口は詐欺に近いものだった。僕はその人の債権回収の手伝いをし、その人がAさんの非道さをなじると僕も表面上は同意していた。

数年前にAさんが亡くなったことを風の噂に聞いた。

その時に僕は気付いた。僕は実はAさんのことが好きで、その生き方、酒と文学と演劇と映画を愛し自由を愛した生き方に共感していたことを。

いや、正確にいえば、その当時は、だらしない生活に堕していることを嫌悪していた。

Aさんに共感したのは最近になってからだ。もっともっと映画や文学、いろいろなことを語り合いたかった。気付くのが遅すぎた。

 

僕は会社組織になじめない、社会の同調圧力に耐えられないダメ人間である。

しかしダメ人間なりの、ちょっとナナメからの視点や分析で語りたいと思う。

「上から目線」で論じたり、また評論家気取りで語ることを厳に戒めたいとも思っている。