ここ最近ですよね、「エビデンス」があるかどうか口やかましく言われるようになったのは。 特に「科学的根拠」あるいは「医学的根拠」には、あーだこーだ言う人が増えたような気がします。 私はテレビをほぼ観なくなって数年経つので、最近のニュースや情報…
私は以前は(「この再生編」の前のブログでも何度も言及しています)、自己責任論を振りかざす人たちが許せず嫌悪感を抱いていました。 政府や国が弱い立場の人たちを切り捨てるために都合よく言い立てているとしか思えなかったからです。 しかしながら、今は…
前回のエントリーでは借金で行き詰っても自己破産という手もある、と書きました。 様々なご意見・ご批判もあるでしょうが、要はたかが借金を返せなかった程度のことで人生を捨てることなんてないし、堂々と生きていけばいいと言いたかったのです。 そして、…
私たちは常に不安を抱いて暮らしています。 これは人類が生き延びるためにプレ・インストールされたものだから仕方がないという見方があります。 現代社会では常にさらなる不安を煽られ続けています。 不安について語ると話が大きくなりすぎて散漫になります…
私は以前に人事労務の専門家を称していたこともあって、様々な労働問題について自分なりにあれこれと考えていました。 その中でも「過労死」の問題については結構深堀していたと思います。 ここではその内容については触れません。 ただ、「長時間労働にさら…
私は今(多少はメニエール症候群の症状が残っていますが)、心身ともにスッキリとした気分で毎日を機嫌よく暮らしています。 その要因はいろいろとありますが、一番は「明日は今日よりいい日だ」と思えるようになったからです。 なぜそのように脳天気で楽天的…
「なんとかなる」 私が最も好きな言葉です。 私の行動規範やマインドセットのベースになっています。 私の座右の銘のひとつにしています。 元々若い頃から好きな言葉だったのですが、特に最近は好きの度合いが高くなりました。 その理由は、ちょっと前にAmaz…
昔からずっと「考え方」を変えれば、現実が変わると言われてきました。 良くも悪くもなると。 私は運を良くして現実を変えるための第一歩としては、やはり「今起きていること」や「今ある状態」に対する考え方をポジティブにすることだと思っています。 ポジ…
「願望はすべて実現する」 このフレーズは昔からさんざんに言い古されてきました。 今でも特に自己啓発的な著書やセミナーなどでは定番のテーマとなっています。 時代の流れとともに姿形を変えてずっと生き残っています。 私は元々、自己啓発的なものがどう…
私は今までに数回「うつ状態」になり、結構長期間(約10年ほど)抗うつ剤や抗不安薬の服用を続けてきました。 不幸中の幸いで、強い副作用に見舞われることもなく、当時のかかりつけのお医者さんのおかげもあり、わりと簡単に断薬ができました。 いまは一切服…
私は給食には悪い思い出しかありません。 子どもの頃の私は好き嫌いが結構あって(今も偏食気味ですが)給食が嫌で仕方がなかったのです。 当時は圧倒的に「残すことは悪いこと」や好き嫌いをしてはいけない」といった考え方がまかり通っていて、ほとんどの教…
今日からブログを再開します。 諸々の事情により、2019年の末から一旦中断していました。 その間に大病をしたり、コロナ騒動があったりと色々なことが私の身に起こりました。 この度、心身共に「奇跡的な」恢復を果たしたことを言祝ぐためにブログを再開する…
僕は元々プライドが高い人間だった。 そのせいで人間関係において軋轢を生んだりしてきた苦い思い出がある。 若い頃は「俺はこんな程度の人間じゃない」「俺はもっと高みにいけるはずだ」との思いがあり、それが僕を縛り付けていた。 人が生きていくうえで矜…
多くの人たちは幼少時から「安定した」仕事に就いて「安定した」生活を営むことが絶対的な善だと刷り込まれてきている。 「安定神話」の呪縛に囚われているのである。 そのための前提として安定は善で不安定なことは悪だとの思い込みがある。 不安定という用…
僕はひそかに「隠棲」に憧れている。 吉田兼好や西行のような生き方に憧れている。 この俗世を捨てて、栄達や出世に背を向けつつも世間をシビアに見つめ続けている。 達観しているようで時には俗物性を出す。俗世から離れていても何らかの形で人々と関わり合…
サラリーマンとして働くことだけが真っ当な生き方ではない。 サラリーマンができないからと言って、その人が無能なわけではない。 当たり前のことを書いているが、世間ではこの当たり前が通じないときがある。 僕がフリーランスの講師業をしていたときや社労…
これから書こうとすることは全くの僕の独断と偏見である(もっともこのブログの大半は独断と偏見で成り立っているけれども)。 それは、自社を指して言うときに「ウチの会社」と抵抗なく言えれば、その人は社畜と化しているということである。 多くの人たちは…
僕は近年小説を読むことができなくなっている(映画を観ることもできなくなっている)。 僕は本を読むことが好きで、毎日2,3時間は読書時間に充てているのだけれども、読むジャンルはノンフィクション・ルポルタージュ、人文科学系のものばかりで小説は殆ど読…
常に健康でストレスにも強く、少々のことではへこたれない、という「強い人」ばかりではない。今の社会はこのような強い人をディフォルトとしているような気がしてならない。少しでも弱さを抱えた人たちを蚊帳の外に置くような社会はロクなものではない。 初…
僕は働きだしてから短期間だけれどもひきこもっていた時期がある。 ひきこもりに至るにはその人その人の事情があり、一般化してどうこうは言えないとは思う。 これから書くのはあくまで僕の個人的なケースであって、それをもってひきこもりに関する一般論に…
人は決して生まれながらに平等ではない。 これは市井に生きる人なら分かりきっている真実である。 恵まれた環境の中ですくすくと育つ人がいればそうでない人もいる。恵まれた資質や才能を持っている人がいればそうでない人もいる。 人は生まれながらにして人…
日々を「機嫌よく」暮らしていければ、それに越したことはない。 不機嫌に生きていると、様々な悪しき副産物を生む。 機嫌よく生きるためには、大層な条件が必要なわけではない。 初出2019/2/12 僕は毎日を機嫌よく過ごしたい。 今の僕の生活の指針はこれだ…
僕はほとんどテレビを観ない。 最近のテレビ番組が面白くなくなってきたからだ、と言ってしまえば話がそれで終わってしまうので、なんやかんやと理屈をつけてみたい。 ひとつの仮説は僕の老化現象というもの。 何を観ても心が揺さぶられることがなくなってき…
僕はこれまでにまわり道をしたり寄り道をしたりの人生を送ってきた。 大半の期間がビンボー生活だった。 自分の思うようにならないことばかりだった。 でも、僕は自分のことを運がいいと思っている。 僕のこれまでの人生で「ヤバい」と思ったことは何度もあ…
僕の日々の過ごし方は読書の時間をいかに捻出するかに重きを置いている。 活字中毒と言ってもいい。 まあ、ヒマ人的生活を送っているので、読書時間の捻出は簡単ではある。 僕がなぜ読書が好きで、それにこだわるのか。 それは本を読むことが好きだから、と…
「苦労は買ってでもしろ」という慣用句がある。 僕の嫌いな言葉である。 精神主義や根性主義の最たるものである。 涼しげな顔でひょいとやり過ごすのがスマートで格好いい。 初出2019/1/17 この社会では未だに根性主義や精神主義が蔓延している。 「やる気を…
僕たちは誰かに認められたり、人の役に立っているという実感を持つと生きる活力が湧いてくる。「承認欲求」であり、それが満たされることによって人は充実感を得ることができる。 人は社会的な生き物であるので、承認欲求が社会を成り立たせる大きな要因にな…
何度もこのブログに書いているが、僕はヒマ人的生活を満喫している。 僕は「ヒマつぶしの達人」を目指している。それは余分なカネを使わずに楽しく面白く時間をつぶすことである。 僕は若い頃、時間つぶしが下手くそであった。 同時にカネを使わないとヒマつ…
ヒマ人的生き方を満喫し、根っからのダメ人間になろうとしてる僕だけれども、常々まっとうな人間になろうと自分なりに努力している。 僕が思う「まっとうな人間」とはおかしいことに対してはおかしいと言うこと、批判精神を持つこと、物事の本質を捉えるよう…
自分の知らないことを学ぶことは楽しい。 学校を卒業して働くようになってから、ようやっと僕は学びの面白さに気付いた。 遅くはない。 初出 2018/12/26 学ぶことと「勉強」は完全に同一なものではない。 勉強にはどうしても強制というニュアンスがつきまと…