希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

生きるということ

「怠惰は美徳」とは指弾されるほどの間違った考え方なのだろうか、という件

僕はずっとある時期まで怠惰は悪だと思っていた。 今やるべきことをやらない人は何をやっても駄目だと思い込んでいた。勤勉は美徳とまでは考えていなかったけれども、努力を放棄した奴は役立たずと思っていた。 ある時期を境に僕の価値観はコペルニクス的に…

「ほどほどに」「頑張りすぎない」をモットーにしていきたいという件

僕はもう人生の折り返し点を過ぎたと自覚している。 人生の後半部分を生きているのだ。 体のあちらこちらにガタがきている。 後はもう、下り坂をそろそろと下りるようにして生きていくものだとの諦念がある。 しかし、僕はこのことを悲観していない。 何度も…

「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件

僕は巷間にあふれている自己責任に関する言説に強い違和感を抱いている。 かと言って自己責任を全否定するものではない。 人は自分のなした言動にある程度の責任は持つべきであると考えている。 しかし、この国においては、弱者ばかりに自己責任を負わせ、強…

「努力をすれば報われる」という嘘を垂れ流し続けるのはやめようという件〈再掲〉

僕は努力至上主義的な考え方が好きではない。悪しき精神論につながるからである。 また、生活に困窮した人たちに対して「努力しなかったからだ」と突き放す態度は無責任である。悪しき自己責任論である。 努力しようにもできない状況にある人たちがいる、と…

「べてるの家」についての本を読むたび、僕の心は洗われるという件

心が弱ったとき、生きていく力がどうしても湧きあがらないときに手に取る本が幾つもある。そのうちのひとつが「べてるの家」について書かれた一連の著作である。 僕はそれらの本を幾度となく読み返している。 「べてるの家」とは北海道の浦河町にある精神障…

会社で働かなくても成長はできるという件〈再掲〉

働くことによって成長することもある。 しかし、僕はこの手の物言いがあまり好きではない。 働くこと以外の要素でも十分に成長は図れるはずである。 初出 2018/5/10 僕は働くことで成長ができる、という物言いに違和感を覚える。はっきり言って嫌いである。 …

ビンボーであることは決して不幸ではないという件〈再掲〉

資本主義社会ではカネをより多く稼ぎ、また多くの資産を持っている者が力を持つことになる。消費をより多くする者が資本主義社会の適応者でもある。 ビンボーであるとこの社会ではみそっかす扱いされる。しかしながら、ビンボー即不幸だと断定することはでき…

「社会人」とはカネを稼げる人だけのことをいうのではないという件

時々無造作に使用してしまうが、僕は「社会人」という言い方が好きではない。 そこには正社員として会社に勤めていて、給料をもらって生活を自分の力で成り立たせていて「自立」しているというニュアンスが込められているからである。 国家やあるいは世間が…

「おっさん」と化した僕の居場所はどこにあるのか、と常々考えているという件〈再掲〉

僕はもう若い頃に戻りたいとは思わない。「オッサンライフ」を満喫している。 ただ、新たな出会いが極度に減っていることが悩ましいところである。 人とのゆるやかなつながりが大切なことは重々承知しているが、現実はなかなか思うとおりに行かない。うーん…

マイノリティだとしても、生きやすい世の中になればと切に願っているという件

僕はいつの間にやらマイノリティの側に属する人間となったようだ。 自らが望んでそうなったわけではない。信念や信条があるわけでもない。 色々な経験を積み重ねていくうちに、自分の身の置き所を探し求めていくうちにそうなってしまったのだ。 まず僕は会社…

たまには誰かに「おせっかい」をしてみようという件〈再掲〉

「おせっかい」という言葉にはネガティブなニュアンスが込められていることが多い。 誰かが困っているときに手助けをする、ということが当たり前ではなくなってきていることの証である。人は「おせっかい」をしたりされたりしながらどうにかこうにか生きてい…

「一度生活レベルを上げると、下げられない」という話はウソであるという件

よく巷で言われる話に、「一旦生活レベルをあげてしまうと、もう生活レベルをさげることができない」という類のものがある。 何らかの理由で収入が減っても、支出額はなかなか減らすことができないという話だ。そのために生活レベルを維持するために消費者金…

僕はカネ儲けの才能が全くない、けれど悲観はしていないという件〈再掲〉

カネ儲けの才能は、人が持つ様々な能力のうちのひとつに過ぎない。 よってカネ儲けができる才覚がなくても悲しむことはない。 しかし、現行の社会システム(資本主義体制)では殊更にカネ儲けの才能がクローズアップされる。僕は現行システムに親和的でないと…

敷かれたレールから外れても、何とか生きていけるという件

僕たちは大抵は幼少時から「真っ当に」生きろという刷り込みがなされている。 きちんと学校に通い、いいとされる高校や大学に入り、一流とされる会社に就職することが良い生き方だとされていた。 敷かれたレールに乗って生きていくことが善とされていたので…

下り坂をそろそろと下りていこう、という件

僕は中年のオッサンである。これからは年々体が衰えてくる。右肩上がりの成長は望めないし、またそんな生き方もできない。 死に一歩ずつ近付いているという実感がある。若いころのしなやかさや瑞々しさが失われて久しく、それらを懐かしむ心境に至っている。…

「自分磨き」をしても大抵はロクなことにはならないという件

僕は今、「成長」とか「自分磨き」とは無縁の状況にいる。 若いころはそれらにこだわっていた。 今日よりは明日、明日よりは明後日というように右肩上がりの成長を図ることが当然と考えていた。まったりと生きるということが考えられなかったのだ。 その当時…

「カネよりも命が大事」という当たり前のことを分かっていない人が多くいるという件〈再掲〉

カネと命を天秤にかけることは本来ならナンセンスなことである。 命よりもカネを優先順位の高位に置く人のことを守銭奴という。 昔は守銭奴は蔑称だった(今もその名残はある)。 守銭奴が大きな顔をできる資本主義システムは果たして良いものだろうか。 初出 …

「カネさえあれば、幸福になる」というイデオロギーからそろそろ脱するときであるという件

街ゆく人たちに「カネがあれば、幸せである」かと問えば、そうではないと多くの人たちは答えるだろう。カネで買えないものが世の中には多くある、友情や愛情とか精神的な安らぎなどはカネでは買えないと。 とは言いながら、大多数の人たちは度量衡としてカネ…

僕は「自分を大きく見せない」ようにしているという件

僕は殊更に自分を大きく見せようとする人が苦手であり信用できない。 社労士事務所を営んでいるときに、僕は自分を大きく見せようとしている人たちにちょくちょく出会った。会社でこんな凄いプロジェクトを任されているとか、俺はこんな凄い人と知り合いだと…

人は自分が「有用」な存在だと思えると、自己肯定感が保たれるという件

人には承認欲求がある。 誰かからあてにされ、信頼されるとそれだけで嬉しい。 自分が誰かのために役立っていると、共同体の成員としての役割が果たせていると充実感を得ることができる。 しかしながら、誰かの「役に立っている」かどうかばかりに拘泥すると…

何故「ヒマ」を嫌う人が多いのだろう、と首を傾げてしまうという件〈再掲〉

多忙を極めていることを殊更に強調して自慢している人たちが僕は苦手である。 ヒマを持て余していて、そのことを隠さずにいてヒマな時間を楽しんでいる人たちが好きで共感する。 そんな僕は筋金入りの「ビンボー、ヒマあり」人間である。 初出 2018/3/8 この…

勤勉は美徳という思い込みが多くの人たちを追い込んでいるという件

僕は「勤勉」ではない、と自己規定している。 隙あらば仕事をサボろうとするし、実際によくサボってきた。 仕事や学校をサボると一時的な解放感を得ることができたけれども、同時に何となく罪悪感を感じたりもした。僕のようないい加減な奴でも勤勉は美徳だ…

「生産性」や「効率」とは無縁の世界で生きたいという件

僕は40代の初めのころまでは、生産性の高い人間になろうと悪戦苦闘していた。 仕事ができる人間が「レベルの高い」人間であって、そうでない人たちは使えない無用の存在だと思い込んでいたのだ。 負け犬にならないように、無理に無理を重ね続け、ついにはキ…

逃げ続ける人生もどうかと思うけれども、たまには逃げても良いという件

僕たちは子供の頃から、「逃げてはダメだ」「困難なことにぶつかったら、正面突破しろ」と刷り込まれ続ける。逃げることは悪ということが教育的指導となるのである。 これはこれで間違っているとは言い切れないが、時として悩んでいる人たちを袋小路に追い込…

マイノリティとして生きていくことの辛さと楽しさ、という件

僕はどちらかというとマイノリティ寄りの人間だと自己規定している。 性的少数者のようなゴリゴリのマイノリティではない。 雇われて働くことが苦痛で、それが長続きしない、不登校の経験があるといった程度のものだ。 総サラリーマン化社会では真っ当に勤め…

働くことによって「成長」することにこだわるとロクなことにはならないという件

僕は成長至上主義的なイデオロギーもどきが嫌いである。 特に仕事によって自己実現とか、働くことによって成長するといった物言いも嫌いだ。 労働観というものは千差万別でひとりひとり異なるとは思うのだけれども、人生=仕事という考え方にはどうにも馴染…

「うつ」と一生付き合っていかなければならない、と覚悟しているという件〈再掲〉

僕はうつ持ちである。今は寛解しているが、いつ再発するか分からない。 「一病息災」をモットーにして、うつと付き合って生きていくことにしている。 初出 2018/2/1 僕はこれまでに3度うつに罹患したことがある。 直近のそれは10年ちょっと前、社労士事務所…

「武勇伝」を語りたがるオッサンは無視するに限るという件

あまり自覚はないけれども、僕はオッサンである。ただ、自覚がないのは精神面であって、肉体的にはもうボロボロであって日々老いを感じている。 こんな僕みたいなオッサンでも自分なりの矜持のようなものがある。それは年少者には敬意を持つ、されども媚びな…

僕が11歳のとき、不登校児童だったときの話をしてみるという件

以前にも何度かこのブログでふれたことがあるが、僕は小学校5年生のときに不登校になったことがある。 今回のエントリーでは、その時のことを思い出し、これまでよりもちょっとだけ詳しく書いていこうと思う。 僕は小学生の頃は食べ物の好き嫌いが多い子ども…

無知であることを恥と思わないと、そこで終わってしまうという件

僕は大した学歴を持っていないし、職歴も大したことはない。 人に誇れるキャリアもないくせにこんなブログを書き続けるのはいかがなものか、と時々自分に問いかける。 ダメ人間にはダメ人間なりの矜持や誇りがある、と自分に言い聞かせながらこのブログを書…