希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

最近テレビがつまらなくなってきたと感じるのはなぜだろう、という件

テレビが面白くなくなってきたと感じている。あくまで個人的な感覚であり、本当にテレビ番組自体が劣化しているのか僕の趣味嗜好が変わったためのものなのかそれは分からない。

まあ、そんなことを言っていては話が進まないので、ここはテレビがつまらなくなったという前提で話を進めていく。

 

テレビがつまらなくなった理由として「規制」が強いためだというもっともらしい言説がある。確かに昨今はネット民のチェックは厳しいし、元々存在したPTA的良識に基づいたクレームも相変わらずあるだろう。それに噓か誠か分からないが政府筋からの介入もあるという。

果たして本当に「規制」がテレビをつまらなくしているのだろうか。

 

テレビ番組を構成する主なものは「バラエティ」「報道」「ドラマ」である。もっと単純化すると「芸能」と「ジャーナリズム」である。

元々この両者がどんな性質のものであったかを考えてみることも必要である。

 

まずは「芸能」について。

元々諸芸能はシャーマニズムに起源があるらしい。

虐げられた庶民の心を癒すものとして、同じく虐げられた身分であった芸能の民が諸国を遍歴しながら、その伎をもってナリワイとしていたのである。今でこそ芸能人はセレブ視されているが、古代から中世、近代の時代においては賎視され、常ならざる者として差別されまた同時に畏怖されていた。

時として芸能は権力者に抑圧されてきた。芸能の民が時の権力者を批判したり揶揄したりすることもあった。能のように権力者に取り込まれるケースもあったが、殆どの芸能の民は権力者や支配者と対峙してきた。容易に権力に従わない姿を見て庶民は溜飲を下げ喝采をおくってきたのである。

特に「笑い」を提供する芸能は権力者を揶揄したり、タブーに切り込んだりする点にその真骨頂があったのだ。また、人の持つ「業」、その愚かさや弱さ、醜さを面白おかしく表現する神業に観る人たちは心を奪われたのである。

 

ジャーナリズムも元々は世間で起きた事件を庶民に伝えることをナリワイとし、同時に権力者の非道、無能、スキャンダルを庶民に分かりやすくかつ面白おかしく伝えることもまたナリワイとしていたのである。江戸時代の瓦版、明治維新以降の自由民権運動と結びついた新聞がジャーナリズムの源流である。

 

芸能もジャーナリズムもその本質は「反体制」「反権力」的なものであり、庶民に寄り添ったものであった。

直接的に権力者批判はしなくても、その存在自体が権力にとって目障りなものだったのである。

 

テレビの話に戻そう。

テレビがつまらなくなったのは送り手側の人の質が劣化したと言う人たちがいる。テレビ局の人事・採用の問題であると。クリエイティヴな才能を持つ人を採用せず、学歴偏重、コネ優先の採用による弊害が表出したものだという言説もある。これもテレビがつまらなくなった理由のひとつであるかもしれないが、根源的な理由は別のところにあると僕は思っている。

芸能やジャーナリズムが本来的に持っていた面白さをないがしろにしたせいではないかと思う。またテレビ局(あるいはマスコミが)自体がエスタブリッシュメントの一翼に連なり、それに満足して庶民の欲望に背を向けたからだとも思っている。テレビ局そのものがエスタブリッシュメントだと「思い違い」をしたときから堕落が始まったのである。

テレビが抱え込んだ芸能とジャーナリズムに内在している権力者と対峙する気概が決定的に欠如し始めたために、本来テレビが持つであろう面白さが失われたのである。

 

現在のテレビ局が持つ体質では規制があろうとなかろうとつまらないコンテンツしか生み出せない。かつての芸能にしてもジャーナリズムにしても今とは比べ物にならないほどの規制をかいくぐって庶民に面白いものを見せてきた。規制があるから云々はただの言い訳に過ぎない。僕が最も敬愛する映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーは当時のソ連当局の厳しい抑圧下でも、「惑星ソラリス」や「ストーカー」、「ノスタルジア」といった映画史に残る傑作を製作している。

テレビが面白くなくなったのは「規制」のせいではない。

テレビ局が庶民の持つリアリズムや庶民のダイナミズムを軽んじて、その重要性に気付かないことによる必然で決定的にテレビがつまらなくなったのである。

「先のことは分からない」という事実を僕たちは看過しているのではないかという件〈再掲〉

将来に不安を抱えている人たちは多い。

当たり前の話である。誰も先のことなんて分からない。

しかし、先のことが分からないからこそ希望が持てるのである。

 

初出 2017/3/2

 

未来に起こることなんて誰にも分からない。

マクロな視点からの未来予測が困難であること、ミクロな視点からの自分がどうなっているかなんて分からないこと、いずれも同じことである。

 

「先のことなんて分からないよ」といった類の言葉を発すると大抵の人は「そりゃそうだ、何当たり前のことを言ってるんだ」と返してくる。

でも、待てよ、そんな返しをする人の行動様式を見てみると、首をかしげたくなるようなものがいくつもある。

35年ローンを組んで家を買う、なんてことは明らかに今の状態が続く(あるいはもっと良くなっている)ことを前提としている。自分の未来がある程度確定している、ということを自明のものとしている。

生活設計なんて代物は未来の自分のあるべき姿を勝手に決めつけたうえで作られている。こうあるべきだとか、こうなっていて欲しいという勝手な願望を既成事実と置き換えている。

 

よくよく考えてみると、昔に思い描いた未来の姿と現在のそれは大きく食い違っているはずだ。

共産主義社会主義国家が雪崩を打って崩壊するなんて考えられなかった。ソ連が崩壊し、東西ドイツが統一するなんて僕が学生の頃はとても考えられなかった。

自国の話になると、こんなに経済成長が止まって、不景気が続き、格差が広がり貧困問題が顕になるなんて思いもよらなかった。

僕がこんなにダメ人間になって、世間で真っ当とされるレールから外れた生き方をしているなんて想像外である(兆しはあったけれども)。

 

僕たちはみんな先のことなんて分からないさと嘯きながらも、自分の都合の良い未来を思い描き、その願望に過ぎないものをあたかもそうあるべきものと思い込んで時を刻み続けている。

ある意味仕方のないことではある。

誰も暗黒の未来なんて想像したくないし、未来が全く捉えどころのない実体のないものとしてやり過ごすのは酷なことである。

人は誰もが自分に取って不都合なことからは目を逸らせたいものなのだ。

 

人生一寸先は闇である。

僕は人生一寸先は光と言い換えている。

先のことは分からないけれども、分からないからこそ楽しくて面白いと考えるようにしている。

自分の未来が確定していたらこんなにつまらないことはない。生きる意欲が失せてしまう。自分は何者であるか、なんて類の探求心は不要になってくる。

先のことが分からないからこそ僕はもがき苦しみ、その苦しみに耐えることができるのである。

 

僕が「安定」というものを忌み嫌い、「安定」なんて幻想だと断言しているのは、未来は予測不能であり、かつ常に物事は移ろい変化するものなのだと本能的に感じ取っているからである。

この本能的なものは誰もが有しているものである。ただ、これは世間で真っ当とされる生き方を疑いもなく続けていれば錆び付くものではないか、と僕は勝手に思っている。僕はレールから外れたからこそ、この本能が錆び付かなかったか、あるいは甦ったのではないかと思う。

このことは喜ばしいことなのか、僕には分からないけれども、喜ばしいことだ、としている。

「先のことは分からない」からこそ、こんなだめ人間の僕でも浮かぶ瀬がある、と思えるからそれは決して悪いことではない。 

昔ながらの喫茶店が好きだという件

僕は昔ながらの喫茶店が好きである。

残念ながら今はチェーン店が興隆の時代であり、個人がひっそりと街中で営む喫茶店が減っている。

 

昔ながらの喫茶店の良いところはタバコが堂々と吸えることである。チェーン店のように店の片隅に追いやられることもない。

僕にとってはコーヒーをちびりちびりと飲みながらタバコを燻らせお気に入りの本を読むことが至福の時である。

この至福の時の舞台設定として最適な場が街の喫茶店なのである。

 

僕の行きつけの喫茶店は5,6件ほどあるけれども、昔ながらの喫茶店はその内の半分である。最もよく行く喫茶店はかれこれ30年以上前からの付き合いである。

その店はランチメニューも豊富で(値段もお手頃である)、何時間居ても何も言われない。新聞や週刊誌も揃っている。週刊誌やスポーツ新聞を読みたくなったら、ちょくちょくその店へ足を運ぶ。

それと仕事をサボった時の避難場所でもあった。前までの仕事に就いていたときに僕はたまに無性に仕事をサボりたいという衝動に駆られることがあった。仕事をサボって家に居ると母が心配したりあれこれ言ってきたりするので居心地が悪い。そこで、「よーし、今日は仕事をサボるぞ」といった日は一旦仕事に行くふりして家を出て、難波あたりをウロウロしてから行きつけのその喫茶店で過ごすことにする。また、出勤していても午後からサボりたくなった日はその店に直行して帰宅時間まで過ごす。

その行きつけの喫茶店は僕の「居場所」のひとつなのかもしれない。

 

今はもうなくなってしまったけれども、僕が通っていた高校の近くにあった「K」という喫茶店も思い出に残っている。

その当時付き合っていたガールフレンドと学校帰りに立ち寄ってとりとめのない話を夜遅くまでしていた。どんな内容の話をしていたのか全く覚えていないけれども、その時の胸の高まり、ドキドキ感だけはなんとなく覚えている。「大人の世界」にちょっとだけ足を踏み入れたというワクワク感があった。

土曜日のランチにもよく利用していた。利用客は僕が通っていた高校の生徒だらけ。メニューがリーズナブルでしかも大盛りだったのでとても重宝していたのである。

今は亡きその「K」という喫茶店は間違いなく僕の青春の一コマとなっている。

 

僕の行きつけの喫茶店の中にはカフェ風の店もある。

僕のくだらないこだわりなのかもしれないが、全国チェーンのカフェは極力利用しないことにしている(例えばSバックスとか)。

僕がよく利用するカフェ風喫茶店はチェーン展開していない(あるいは小規模なチェーン店)ところである。

本当は昔ながらの純喫茶風な喫茶店が良いのだけれども、次善の策としてチェーン展開していないカフェを使っている。「へっ、グローバリズムなんかなんぼのもんじゃい」とささやかな抵抗をしているわけである。

それとチェーン展開しているカフェの雰囲気が何となく肌に合わないのだ。僕が座っている横の席でサラリーマンにノートPCやなんかでパチパチやられたりすると興ざめするのである。まあ、あくまで僕の個人的な感覚なのだけれども。

 

僕はやはり昔ながらの喫茶店が好きなんだなぁと思う。

僕が「昭和」の人間だからなのか、アナクロ人間だからなのか、自分でもよく分からない。

僕にとって昔ながらの喫茶店は「古き良きもの」の象徴である。

僕もいよいよ老いてきたのだろうか。

でも、この「老い」の感覚は悪いものではない。

 

 

 

誰でも即実践できます!あなたの不調をやわらげます あなたの心に灯をともす、根本的な解決法を伝授します