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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

無理して「我慢」なんてすることはないという件

社会について考えてみる

僕たちは幼少時から我慢することを我慢の大切さを教え込まれる。

我慢ができない子どもは忍耐力に欠ける子として問題児扱いされる。我慢ができずに自己主張する子どもは協調性に欠ける子としてこれもまた問題児とされてしまう。

学校教育では教師の言うことを何の疑いもなく聞き入れる子ども、我慢をして素直な子どもが良い子どもとされて、そのような子どもたちを量産しようとする。国家や会社に従順な労働者を大量生産するかのごとく。

 

働くようになるとなおさら我慢が強調される。

特に会社や役所等の組織に勤めると我慢合戦を強いられる。

バカな上司の指示に従うこと、意に反した転勤や単身赴任を受け入れること、長時間労働サービス残業、接待、長時間の無駄な会議等々数え上げればキリがないほどの「我慢」をしなければならない。

我慢をすることが当然とされ、我慢ができない人は出世ができないし、酷い場合にはその職場にいられなくなったりする。

 

経営者あるいはもっと大きくとらえて国家は我慢は美徳だというイデオロギーを垂れ流す。

我慢ができる人たち、我慢を我慢とも思わない人たちを「良民」とし、我慢ができない人たちを劣った人だとのレッテルを貼り排除する。

 

僕は当然ながら我慢ができない人のカテゴリーに属する人間である。我慢ができなくて公務員を辞めたし、もう必要以上の我慢なんてしたくないから勤め人になることを拒んでいる。

こんな僕でもある程度の我慢は当然だと思っている。僕はどちらかと言うと我慢強い方の人間である。忍耐力は人並み以上にある。

要は自分が納得できる範囲の我慢はするが、自分の価値観に反する我慢、人としての尊厳を奪うような我慢はしたくないだけだ。

 

これらのような主張をすると「社会人として失格」だの「子どものままで大人になっていない」といった説教を喰らう。世の「大人」たちは何でも我慢ありきで物事を考え、その考えを他者に押し付ける。この狭量さが嫌いなのである。

世の多くの人たちは我慢することによって自己保身を図っているだけに過ぎない。空気を読んで我慢してその場を取り繕っているだけなのだ。そして、その我慢合戦の積み重ねが様々な問題の解決を先送りにし、結果としてこの閉塞した今の状況を生み出したといっても過言ではない。

 

自分さえ我慢すれば波風が立たずにうまくいく、といったメンタリティは危うい。目の前にある問題に対峙せず、我慢してやり過ごすことばかりをしていれば結局はドツボに嵌ることになる。

世の中の進歩や発展は我慢をせずに自己主張を始めた人たちがその原動力になっているのである。

 

「我慢」が美徳という価値観に僕はこれからもずっと抗い続けていく。