希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

「人権」はイデオロギーのひとつに過ぎないけれどもやっぱり大切なものという件

「人権」という概念はひとつのイデオロギーに過ぎない。普遍的な絶対的な真理ではない。人権思想を金科玉条とすると、「人権教」という宗教となり、人々はその教義に盲従するようになる。これはとても危険なことである。

 

僕は何も人権思想を否定しているわけではない。むしろ逆でとても大切な考え方だと思っている。ただ特定のイデオロギーを盲信することは危険だし愚かなことだと言いたいだけだ。

 

この国で基本的人権の尊重が広く受け入れられるようになったのは日本国憲法の制定以降である。戦前の明治憲法では「臣民の権利」という留保付きの人権が認められていたに過ぎない。国情が変化すると国民の権利は制限されたのである。人権思想が普遍的な真理のようなものになったのは戦後70年ほどの浅い歴史しかない。

 

僕は人権イデオロギーを「使い勝手の良い」概念だと思っている。一見普遍的な真理のような仮面をかぶったイデオロギーは様々な場面でその力を発揮する。

社会保障、特に生活困窮者の支援について考えてみる。

生活が困窮している人たちを助けるべきというコンセンサスは一応存在する。ただし、最底辺の労働者以下の処遇でも構わないという「劣等処遇」の原則を貫徹せよと考えている人たちは未だに多い。働かない人たちを怠け者だと断罪し、それらの人たちは野垂れ死にしても構わないという労働至上主義的なイデオロギーが未だに幅を利かせている。その労働至上主義的イデオロギーに対して「人権」という「強い」イデオロギーが社会政策を実施するうえでは必要となってくる。この強い人権イデオロギーによって人は誰でも人間に値する健康で文化的な生活を営むべきだという考えが導かれ、またその考えが正当化される。

この世知辛い世の中で何とか社会保障が実行され、生活困窮者が助けられているのは、生存権という強い人権イデオロギーに基づく権利が周知されているからである。

 

時折噴出する生活保護バッシングは生存権という強い人権イデオロギーに違和感を持ち、庶民の肌感覚としてある「働かざる者。食うべからず」という労働至上主義イデオロギーが顔を覗かせて、ふたつのイデオロギーがせめぎ合いを起こすことに端を発している面がある。

 

人権を錦の御旗に掲げて活動している市民運動に僕が違和感を持つのは庶民のリアリズムと乖離しているからだと思う。

また、これまで述べてきたように人権思想が単なるイデオロギーに過ぎないのに、「人権教」の信者となり何事も人権ありきという思考様式、行動様式を採る人たちに不信感があるからである。

社会運動は今、そこにある問題を解決するために行うものである。生きづらさを失くし、「生存」の危機を失くすためのものである。人権イデオロギーを広めるためのものでもなく、「人権教」の布教のためのものでもない。

 

ここまでつらつらと人権イデオロギーの負の面を述べてきたが、何だかんだ言って「人権」思想は大切なものであることには変わりはない。

人権イデオロギーを盲信するのではなく、ただ「使い勝手が良い」イデオロギーであると割り切ることも必要である。

この世に真の正義、普遍的な真理などないのだから。

真っ当な生き方をしなくても、楽しく生きていけるという件

世間で言うところの「真っ当な生き方」をしていれば大過なく人生を送ることができる。

世間との軋轢も避けることが出来るし、社会的信用もそこそこついてくる。

ある組織に帰属して「安定」した地位と待遇を受けていれば安泰だとかつては考えられていた。この組織は大きければ大きいほど良いとも思われてきた。

組織の一員としての自分、というアイデンティティを持つことが推奨されていた。自分という「個」を強く押し出すと、わがままだの扱い難いだのネガティヴな評価を受けるケースが多く見られた。

 

この社会は同調圧力が強く個人に圧し掛かる。

皆と同じがよい、横並びが普通でまともだと思われてきた社会である。

「意識の高い人」(良い意味で)は自分が抑圧され、能力が発揮できないと考え、ついには組織を飛び出すことになる。

僕のように意識の低い人間は違った意味で組織にい続けることが息苦しくなり、やはり組織から零れ落ちることになる。

いずれにせよ、両者とも「真っ当な」社会のレールから外れた生き方をせざるを得なくなる。

 

「真っ当」とされる生き方から外れても、そのことによって不幸になるわけではない。ちょっとだけリスクが高い生き方になるだけである。

起業したり、フリーランスになって成功すれば、組織人のときには考えられないような報酬や名声を得ることができる。一方で失敗すれば多大な負債を負う可能性もある。また、「安定」からは程遠い状態をずっと続けなければならない場合もある。

 

組織に留まって相対的に安定した生活を続けることが「真っ当な生き方」だと世間的に是認されている社会では、それを拒み違った生き方を選択することはいわば「逆張り」であるといえる。

当然にリスクは大きいし、不安定なものになりがちである。

成功する保証はどこにもない。

僕は公務員を辞めてフリーランスとして生きることを決めたときには、最悪の場合はホームレスになることを覚悟していた。まあ、実際はその当時は両親が健在でそこそこの生活レベルにあったので、何もかもを失った時には両親の許にやっかいになっていただろうけど。

 

僕はずっと「逆張り」の生き方を続けているわけだけど、意外と居心地が良いと感じている。確かにビンボー生活がずっと続いているけれど、悲壮感とは無縁である。少しばかりの「自由」があるのが何より嬉しい。将来はなるようにしかならないと、開き直っている。社会的な地位や信用は無きに等しいが、そんなものは屁でもない。

僕は「逆張り」の生き方を勧めているわけではない。真っ当に生きることが出来る人は、真っ当に生きた方が良いに決まっている。

真っ当に生きることは「王道」であると僕は思っている。

 

僕もかつては「真っ当に」生きようとしていた。自分にはそれが出来て当たり前だと思っていた。

けれども、どうも怪しいぞ、僕はダメ人間らしいぞ、と悟ったときに腹を決めて「逆張り」人生を進むことを決めたのだ。いや、違う、そうならざるを得なかったという方が正しい。

 

逆張り」人生もなかなかに面白い。  

僕はひきこもり体質である件〈再掲〉

僕は出不精であり面倒くさがりである。

だから意識しないとひきこもり的な生活になってしまう。

僕の場合の「ひきこもり」は病的なものではなく体質的なものである。

 

 

初出 2016/9/29

 

僕は短期間ではあるが何度かひきこもり生活を送ったことがある。その原因は不登校であったり、働くことに疲れてうつになったことである。

運が良いことに僕のひきこもりはこじらせることなく済んでいる。ある一定の期間をひきこもっていると「このままではいかん!」という気持ちが湧き上がってきて何らかの形で社会復帰の動きをし始めるのである。

ただ、安心してはいけない。

僕はどうやら「ひきこもり体質」らしいからだ。ちょっとしたきっかけでまたひきこもり生活に舞い戻る可能性を秘めている。

 

僕はかつてはこの自分のひきこもり体質を毛嫌いしていた。こんな調子ではまともな社会人になれないと恐れていた。社会での競争から脱落してしまい役立たずな劣った人間になってしまうと思い込んでいた。

僕は今では自分のことをダメ人間であると受け入れている。他者から怠惰な人間、やる気のない人間だと見られても何も感じなくなっている。馬車馬のように働き続ける人生に懐疑的になっている。人は働くためだけに生まれてきたのではない、との信条を持っている。

 

僕の全くの個人的な考えであるが、健全な(?)ひきこもり生活を送るためには「自己肯定感」が必要であると思っている。自己否定を伴い、社会を世間を呪ってのひきこもりはこじれてしまうからである。一度こじれてしまうと元に戻ることは困難となる。無理してこのどうしようもない社会に適応することはないとは思うけれども、何とか世間や社会と折り合いをつけて自分なりに楽しく生きていくためには少なくとも自分という存在を認める必要がある。

自己肯定感を持ち続けていれば、傍から見てどうしようもないような状況であっても悲観することはない。

 

僕はひきこもりやニート的な生き方をすべて肯定するつもりはないし、また全否定する気もない。もし、一生食うに困らない資産があるのならばひきこもりを続けても良い。

このエントリーはひきこもり問題の解決云々を述べるものではない。また、僕にはひきこもりやニートにかかる問題の解決を図るような意見を持ち合わせてはいない。

 

僕は自分がひきこもり体質であることを自覚してから、少しだけ生きやすくなった。親に多少の迷惑をかけても、親子関係が破綻するような事態に陥らないのならば、時と場合によってはひきこもり生活をしてもいい、と思えれば気が軽くなった。

母親には諦めてもらおう。

世に言う成功者とは縁遠い生活をしているこのバカ息子、ダメ人間の僕という存在を認めてもらおう。

 

何かの弾みでまた僕はひきこもり生活を送る羽目になるかもしれない。そのときは自己肯定感を失うことなく、心地よくひきこもり生活を送りたい。ただ、僕はまだ終わっていない、僕の人生はこれからだ、という思いを強く持ち続けながら。

 

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