希望の舎―再生編ー

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僕はひきこもり体質である件〈再掲〉

僕は出不精であり面倒くさがりである。

だから意識しないとひきこもり的な生活になってしまう。

僕の場合の「ひきこもり」は病的なものではなく体質的なものである。

 

 

初出 2016/9/29

 

僕は短期間ではあるが何度かひきこもり生活を送ったことがある。その原因は不登校であったり、働くことに疲れてうつになったことである。

運が良いことに僕のひきこもりはこじらせることなく済んでいる。ある一定の期間をひきこもっていると「このままではいかん!」という気持ちが湧き上がってきて何らかの形で社会復帰の動きをし始めるのである。

ただ、安心してはいけない。

僕はどうやら「ひきこもり体質」らしいからだ。ちょっとしたきっかけでまたひきこもり生活に舞い戻る可能性を秘めている。

 

僕はかつてはこの自分のひきこもり体質を毛嫌いしていた。こんな調子ではまともな社会人になれないと恐れていた。社会での競争から脱落してしまい役立たずな劣った人間になってしまうと思い込んでいた。

僕は今では自分のことをダメ人間であると受け入れている。他者から怠惰な人間、やる気のない人間だと見られても何も感じなくなっている。馬車馬のように働き続ける人生に懐疑的になっている。人は働くためだけに生まれてきたのではない、との信条を持っている。

 

僕の全くの個人的な考えであるが、健全な(?)ひきこもり生活を送るためには「自己肯定感」が必要であると思っている。自己否定を伴い、社会を世間を呪ってのひきこもりはこじれてしまうからである。一度こじれてしまうと元に戻ることは困難となる。無理してこのどうしようもない社会に適応することはないとは思うけれども、何とか世間や社会と折り合いをつけて自分なりに楽しく生きていくためには少なくとも自分という存在を認める必要がある。

自己肯定感を持ち続けていれば、傍から見てどうしようもないような状況であっても悲観することはない。

 

僕はひきこもりやニート的な生き方をすべて肯定するつもりはないし、また全否定する気もない。もし、一生食うに困らない資産があるのならばひきこもりを続けても良い。

このエントリーはひきこもり問題の解決云々を述べるものではない。また、僕にはひきこもりやニートにかかる問題の解決を図るような意見を持ち合わせてはいない。

 

僕は自分がひきこもり体質であることを自覚してから、少しだけ生きやすくなった。親に多少の迷惑をかけても、親子関係が破綻するような事態に陥らないのならば、時と場合によってはひきこもり生活をしてもいい、と思えれば気が軽くなった。

母親には諦めてもらおう。

世に言う成功者とは縁遠い生活をしているこのバカ息子、ダメ人間の僕という存在を認めてもらおう。

 

何かの弾みでまた僕はひきこもり生活を送る羽目になるかもしれない。そのときは自己肯定感を失うことなく、心地よくひきこもり生活を送りたい。ただ、僕はまだ終わっていない、僕の人生はこれからだ、という思いを強く持ち続けながら。

 

なぜ生活保護の現場がうまく回らないのかという件

生活保護行政の第一線に立つケースワーカーの仕事はハードである。

僕がある政令指定都市の職員をしていたとき、同期生である何人かはケースワーカーの仕事に就いていて、その仕事の精神的負荷がいかに高いかを見聞きした。

僕はある区役所の国民健康保険を担当する課に配属されたのだけれども、そこでさえも日々の業務は精神的に疲弊するものだった。生活保護行政を担うケースワーカーの仕事は僕のいた国保の比ではない。

 

生活保護の申請をさせない「水際作戦」や強圧的な指導等で悪い評判が立ってばかりのケースワーカーだが、なぜ現場がスムーズにいかないのか、元公務員の視点で以下に述べていきたい。

 

本来はケースワークの仕事は社会福祉に関する専門知識を有する専門職である。大学や専門学校で社会保障制度、社会福祉に関する法令、ケースワークの技法等を学んだ人たちが従事することが望ましい。

僕が採用された市役所では大卒採用の同期生が100人前後いたが、殆どが行政職採用であった。社会福祉職採用は数人程度であった。これらの社会福祉職採用の職員の全員が生活保護を所管する福祉事務所に配属されるわけではない。児童相談所や母子福祉センター等の福祉関連部局に専門職として配属されることが多い。福祉事務所に配属される社会福祉専門職職員はわずかに採用された人たちの内のまた一部である。

実際は福祉事務所に配属されるのは行政職・一般職の職員である。

 

一般的に福祉事務所のケースワーカー社会福祉生活保護に精通し、カウンセリングやケースワーク技法を身に付けた職員であると思われがちだが、そのような職員は一部だけ(各自治体によってその比率は異なる)なのである。

ケースワーカーとして働く職員の多くは、前の職場では例えば住民税の取り立てをしていたとか、住民票を発行していたとかの「お役所的」な仕事をしていて、人事異動で仕方なく福祉事務所に配属されたというケースが多いのである。どの自治体でも福祉事務所は不人気の職場である。福祉専門職ならともかく、一般職採用の職員にとっては「行きたくない」職場である。福祉専門職ではない職員のモチベーションはなかなか上がらない。おそらくは少しでも早く他の部署に異動したいと思っている。そんな中でトラブルが多く、一筋縄ではいかないケースばかりの生活保護行政の現場で格闘するわけである。

 

元々公務員をしている人たちの多くは「自律的」に創造的に働くといったメンタリティを有していない。上から決められたことを決められた通りにつつがなくこなすことを是としている。このことを一概に悪いことだとは言えない。公務員は法令に基づいて決まっていることをその通りに遂行しなければならないのである。

 

自治体の上層部が生活保護費の抑制を指示したとき、「水際作戦」が横行しがちとなる。

これは凡そ次のようなメカニズムによる。

生活困窮者や生活保護受給者に寄り添った支援をしているケースワーカーよりも上からの指示通りに水際作戦を厳格に実行しているケースワーカーの方が人事評価が高くなる。人事評価が良ければ次は良い職場に異動する可能性が高くなる。

また、水際作戦を履行していれば新たな生活保護受給者を出さなくて済み、仕事の量が増えることもない。

水際作戦によって人事考課が良くなり、仕事も増えない、これらは一挙両得となる。

 

また、水際作戦を強いられていない自治体においても以下のようなことが起こり得る。

福祉事務所は不人気部署ゆえに希望する職員が少ない。在籍するケースワーカーにおいても他の部署に異動したいと思っている人も多い。そのためにある職員が熱心にケースワーカーの仕事に取り組むとその部署に留め置かれることになる。他方、不真面目で熱心でない職員ほど不適格とされて他の部署に異動する確率が高くなるという事態が生じる。熱心で意欲のある職員であっても(一般職・行政職なら尚更)、ずっと同じ部署にいればモチベーションが下がり、疲弊することもある。熱心に働けば働くほど自分の意に反して異動の芽を摘み取られてしまえば、いつかはその意欲も喪失する。これはどの自治体の福祉事務所も抱えているジレンマである。

 

生活保護の現場で起きている様々な問題を安易な公務員バッシングで済ませては何も解決しない。

根本的な解決策はどのようなものなのか僕には分からない。

対症療法的になるけれども、専門職としてのケースワーカーの人員を増やすしかないように思う。学卒者の新卒採用に頼るのではなく、福祉関係の職歴を有する専門職を中途採用する。この中途採用もよく散見される低待遇の短期雇用の非正規職員ではなく、正職員に準じた待遇をもって採用する(5年や10年の中期の非正規雇用でもいいと思う)。

 

ここまで福祉事務所で働くケースワーカーがどのようなメンタリティを持っているか、それが個々のケースワーカーの働きぶりにどのような影響を与えるかに焦点を当てて述べてきた。

ただし、生活保護行政の現場が必ずしもうまく回らないのは、制度やシステムが破綻しかけているからであって、個々のケースワーカーの資質や働きぶりのみにその原因を求めてはならない。

現状のまま放置し、個々のケースワーカーの頑張りや意欲にもたれかかったままでいれば、近い将来に現行の制度は破綻する。

組織のトップは必ずしも「できる人」を取り立てないという件

僕は常々疑問に感じていたことがある。

それは会社の社長が独裁体制を敷き、そのことによって経営が左前になっているときに幹部は何をしていたのだろうと。確かに独裁的な経営者に異を唱えるとクビを切られることもある。左遷されることもある。しかし、筋の通った正当なことを言えば同調する者も出現してくるはずである。同調者が多数派を形成すれば、独裁をストップすることもできるはずだ。

時々、ワンマン経営者や創業者がその地位を追い出される事態が生じることもある。ただしそれはレアケースである。

 

僕は当然ながら大会社の役員になった経験がないので想像の域を出ないが、どうも役員の人選に問題があるケースが多いのではないかと推測する。

会社の取締役、執行役員たちは「経営」に携わる立場の人たちである。当然に彼ら彼女らは経営手腕を問われなければならない。職務遂行能力が他者より秀でている程度ではダメなのである。

多くの会社ではサラリーマンの「あがり」「ご褒美」的なものとして役員への昇進がなされている。

 

役員への登用が経営能力を見込んでのものならば何も問題はない。別に恩賞でもあがりでも構わない。しかし、実情は社長(あるいは会長)のお気に入りだとか、派閥抗争による員数合わせによることが多いのではないか。

 

ある人を取り立てる際に取り立てる側よりも能力の高い人を取り立てた方が合理的である。組織の発展や拡大をなすためには代を経るたびにさらに優秀な人が次代を担うシステムにした方が良いのは明らかである。会社にしても政治にしてもはたまた官僚の世界にしても同様である。

 

しかし、現実は代を経るごとに劣化している組織が大半なのではないか。

組織のボスが自分よりも劣る人を取り立てる傾向があるからである。

典型的なのはワンマン社長がイエスマンばかりを側に置くケースである。イエスマンとまではいかなくても、差し障りのない人、従順な人等を取り立てる例が多い。その可もなく不可もない人たちの中から後継者が出る場合(世襲ではないとき)、組織のトップが交代するたびにそのトップの劣化が進む。そして劣化したトップがまたまた自分よりも劣った人たちを取り立てる。経営陣の劣化の負のスパイラルが起きることになる。

この負のスパイラルから抜け出せない会社は潰れることになる。たとえ大企業といえども。逆に負のスパイラルから抜け出せた会社ー例えば外部から優秀なトップを据えたり、たまたま経営陣の中に優秀な人がいてその人がイニシアティブを取った場合ーは盛り返すことになる。

 

なかなか自分よりも優秀な人を取り立てることは言うは易いが難しいことである。その優秀な部下をコントロールできる力量を自身が持っていなければならない。下手をすると自分を追い越して自分の立場が危うくなることもある。

自分の権力基盤が強い場合、例えば創業者だったり、創業者一族で大株主だったりしたときは優秀な人の抜擢もしやすい。逆にサラリーマン上がりのトップの場合、どうしても自分の息のかかった部下を取り立ててしまう。ただ、このことは一概には言えない。創業者でも世襲にこだわると、跡継ぎのライバルとなる優秀な部下を排斥することもあるし、サラリーマン上がりのトップでも自分より優れた後継者を作ることもある。

 

結局は自分より優れた者を取り立てるか否かはその人の器量の大きさによってくる。

優秀な人をためらいもなく取り立てる人は器量が大きい人であり、躊躇する人は残念ながら器量のない小人物である。

 

今の多くの大企業、政治家、官僚の世界は人材の劣化の負のスパイラルに陥ってはいないだろうか。

決してそんなことはない、と僕は信じたい。

 

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