希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

人生なんて「ケ・セラ・セラ」でいいんじゃないか、という件

僕は40代のはじめころまで人生を真剣に考えていた。

自分がなすべきことを明確にし、少しでも高みに到達したいと望んでいた。

同時に世間体を気にしていて、人から良く見られたい、役に立つ人間と思われたい、できる人間だと思われたい、と常に構えていた。

真面目であること、真剣に物事を考えることは悪いことではない。しかし、時として余裕をなくしゆとりをなくし視野狭窄に陥ってしまう。

 

何度もこのブログで書いているけれども、僕は40代の半ばに差し掛かろうとした頃にキレてしまった。

真っ当とされる働き方や生き方を貫くことが辛くなり、またばかばかしくなったのだ。

働くことだけが人生ではない、好きなことややりたいことを我慢して真っ当とされる生き方を強いられるのは真っ平ごめんだ、という心境に至ったのである。

その時から「ケ・セラ・セラ」、つまり「なるようになるさ」が僕の座右の銘のひとつとなったのである。

 

世間では、常に仕事にありつくために自己啓発をしろとか成長を常に心がけろとか言って脅し上げる。老後のためにカネを貯めておけ、と金融屋は庶民を脅している。常に僕たちに不安を煽り、人生は厳しいものだとの考えを植え付けようとする。

人生は厳しくもあり、緩くもある、というのが僕の考えだ。

実際問題として生まれてから50年ほど、何とかなっている。

確かに豪勢な生活はできていない(ビンボー生活が続いている)。結婚もできていないし、持ち家を所有することもできていない。それどころか、定職にも就いていない(正社員として雇われていないという意味で)。

それがどうした、と僕は声を大にして言いたい。

人に多少の迷惑をかけつつも(特に母親に迷惑をかけている)、あるいは完全に自立していないけれども、「自律的」に僕は生きている。自分にとっての「ナリワイ」を見つける努力を続けている。少しは「ナリワイ」を手にするための行動も起こしている。まあ、雇われて働くことがイヤだと公言しているので、この程度の自助努力は当然と言えば当然であるけれども。

 

人生なんてなるようになるさ、とゆるく考えていれば余計なストレスもかからないし、変な向上心を持つ必要もない。自分なりの自分に見合った向上心さえあればいい。

自分なりの「自由」を満喫し、ゆるやかな時の流れに身を任せることはこのうえもない贅沢である。僕はこの贅沢を大切にしたい。

 

僕は、ケ・セラ・セラ~と口ずさみながらこの世知辛い世の中を飄々と渡っていきたい。

たとえ、経済的に恵まれなくても、名声を得られなくても。

僕の身の回りにいる人たちの心に少しでも僕の存在を刻み込めたら、それだけで大満足である。

 

 

社労士時代にしてきたことを軽く懺悔する件

僕は30代初めのころから40代の半ばまで大阪市内を拠点にして社会保険労務士事務所を営んでいた。

強い意志をもって開業したわけではない。当時は雇ってくれるような社労士事務所がほとんどなくて、会社に人事労務担当で就職するのも嫌だった。数校の専門学校の講師を掛け持ちしながら、どうしようかとあれこれ動いていた時にたまたま開業するきっかけがあって、流れのままに事務所を開いたわけである。コネなしカネなし顧客なしのないないづくしからのスタートだった。

 

開業してから3,4年ほどで顧客も付きだし何とか生活費は稼げるようになったのだけれども、今から思えば「荒っぽい」仕事もこなしていた。

当時は政府からの各種の助成金が充実していて、労働時間を短縮したり、定年を延長したり、中高年の人たちを雇い入れたりしたときの助成金制度がいくつもあった。この助成金制度の申請代行業務は社労士にとって「おいしい」仕事であった。受給にこぎつければまとまった額の報酬が得られたからである。僕は不正受給に手を貸したりはしなかったが、グレーな感じのものがあったのは事実である。

労働者を雇い入れた際に貰える助成金は当該の会社が社員を会社都合で

解雇した場合には受給できなくなる。だから関与先では社員を自己都合退職に無理やり持っていったケースもあった。実質的には会社都合の離職だけども、助成金を受けるために辞める社員をなだめすかして自己都合退職にしたのだ。

 

僕は助成金の仕事があまり好きではなかった。だから、顧客が増えてくるとスポットの助成金申請の仕事は受けなくなった。顧問契約を締結した会社の助成金申請業務だけをするようになった。

僕が力を入れた業務は労働条件の改善である。労働基準法やその他の労働法令を守れるように会社に助言し、その体制づくりをするのである。

僕は経営者と労働者の双方にとって利益となるような仕事をしたいと常々思っていた。しかしながら、現実は顧問料を払う経営者に寄ったものになってしまうことが多かった。例えば週40時間の労働時間という規定を守るために、変形労働時間制を多用して、必ずしも労働者の待遇が良くならないような勤務体系を作ったりしていた。

僕が今、労働者側の立場に立ってものを言うのも、このときの反省からきているのである。

 

僕はこのブログでは書けない(違法ではないが)ようなことをして、労働者の待遇を悪化させることを随分としてきた。あのまま社労士を続けていたら、POSSEの今野さんの言うところの「ブラック社労士」になっていた可能性は十分にある。経営者の犬に成り下がっていたただろう。

貧困問題や労働問題にコミットする意欲なんて全く生じずに、ただ私利私欲のためだけに生きる人生になっていただろう。

 

僕は社労士事務所を開業し、フリーランスとして活動してきたことを全く後悔していない。なかなかに楽しい日々であった。自分の血肉となる経験も多く経てきた。

ただ、軽く懺悔をしたい気分である。

あまりにも経営者の意に沿った仕事をしてきたこと、労働者の権利をないがしろにしてきたことに。

僕はこれからは会社や経営者連中の横暴さ卑劣さを糺し、労働者の生活を守るためにものを言うことを決して忘れない、ということを心に刻んでおきたい。

リスクを避けることばかりに気を取られるとドツボに嵌るかもしれない件〈再掲〉

できることならリスクのない生活を送りたい、と僕たちは思っている。

そのために色々と手を打ちながら日々を過ごしている。

しかし、リスクを避ける生き方はなんとなく面白くない、と感じるのは僕だけであろうか。

 

初出 2016/4/21

 

今でも世の多くの親たちはわが子に良い学校に行かせて一流と言われる会社に勤めることを願っている。何よりも「安定」を望んでいる。リスクを取らないとされる生き方が良いと思い込んでいる。

 

人生においてノーリスクなんてありえないことだ。

同時に「安定」なんて幻想である。

誰でも生きていくうえで様々な出来事に遭遇し、その度ごとに選択を迫られる。そのときに大抵はリスクが低いと思われる道を選ぶ。仮にリスクが高いとみなされる道を選択しても、その結末が失敗に終わると世間の目が冷たく注がれることになる。

 

一般的に良いとされる大学を出て、一流とされる会社に就職してサラリーマンになることはリスクの低い選択であると思われている。さすがに昨今の経済事情を鑑みれば、一流企業のサラリーマンになることを勝ち組だと即断できない風潮はあるが、多くの人たちが羨望の眼差しを向けることには変わりがない。口では公務員や大企業のサラリーマンなんてつまらないと虚勢を張っても、自分があるいはわが子がその立場になるとすると口を噤むことになる。

 

リスクを避けて無難な生き方を選択することは何も責められるべきことではない。無理して困難な道をあえて選ぶことなんてする必要はない。

しかしながら、自分の真意に反してリスクを避けて無難な道を選んだとき、後悔の念が生じることがある。あるいは無難と思われた道を選んだのに困難な出来事に遭遇することもある。有名企業で定年を迎えた後に抜け殻のようになってしまったり、潰れるはずのないと思われた会社が倒産したり、倒産しなくてもリストラされたりすることはままある。

リスクを避けた生き方をしていたのに、思うようにならない状況に陥ってしまったときの心持は絶望に近いものとなるかもしれない。

 

世のサラリーマンは今の自分の状況を手放しで受け入れることができるのだろうか。住宅ローンや子どもの教育費などに縛られて今の仕事を辞められないなんて状態は僕からすれば生き地獄である。たとえその仕事に多少のやりがいや面白さを感じていたとしてもである。

何も僕はサラリーマン的生き方を否定したいわけではない。仕事に私生活に充実感を得ていたとすれば、それはそれで立派な生き方である。

サラリーマン的な生き方に馴染めない僕自体に問題があるといえる。ただ、僕は多少はリスクを取った生き方を選んだと自負しているが、今のところ全く後悔はしていないし、これからも今の生き方を続けていこうと思っている。

 

僕は他者から自分の生き方をどうこう言われたくないし、他者の生き方に口出しなんかするべきではないと思っている。

ただ、安定という幻想に捉われたり、リスクを取らない生き方が正しいという風潮に抗いたいだけなのである。ただの天邪鬼なのだ。

 

リスクを避けようとばかりしていると新たなリスクを背負うこともある。

無難な道ばかりを選択し、安定ばかりを追い求めていると思わぬ困難に遭遇することもある。

たまにはリスクを取ってみてもいい。

やり直すことなんていつからでもできるのだから。

 

 

 

 

 

  

誰でも即実践できます!あなたの不調をやわらげます あなたの心に灯をともす、根本的な解決法を伝授します