希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

重大な雇用問題は中高年の人たちの働く場の確保だという件

転職35歳限界説というものがある。

35歳を過ぎてからの転職は待遇が悪くなるし、そもそも転職自体が難しくなるという説だ。

だからこの説が正しいということになると、ある程度の年齢に達したら今いる会社にしがみつくしかなくなることになる。しかしそこは「安住の地」ではない。常にリストラ圧力に晒されながら働き続けねばならないケースもある。また、出世を諦めているのに、骨身を削って働き続けることを強いられることもある。

 

中高年の人たちの転職が難しいのは従来からある年功賃金的な縛りがあるからだ。例えば45歳で転職するとなると、一定規模以上の会社では管理職での採用が多くなる。この管理職自体が余っている状況なので、外部から管理職を登用する求人数の絶対数がかなり少ない。また給与額が高額になるためにかなりの厳選採用となる。ほとんどの中高年求職者は仕事にあぶれることになる。

これは役職のない社員の採用であっても同様である。年功的な賃金体系では年齢が高くなると給料もそれにつれて高くなるからだ。ならば中高年よりもスキルが低い若年者を低賃金で雇う方が会社にとって都合が良いことになる。

また、中高年の人たちを雇うと、その上司が年下になる場合がある。これも日本の会社は好まない。他にスキルがありすぎても扱いにくいし、他社の色に染まっていても使いにくいということもある。

 

日本の会社では大半が「人に仕事が付いてきて、人に値札(給料)が付いてくる」という特徴がある。中高年の人たちの転職が難しいという根本的な理由がそこにある。

逆に「仕事に値札(給料)が付いてくる」という職務給的な賃金システムならば、原則として年齢は大きな要素にはならない。営業や経理等のある職種についての職歴やスキルが重要視されるから、場合によっては中高年の人たちの方が好ましいことになるかもしれない。仕事に給料が付いてくるので、年齢が高いからといって給料がそれにつれて高くなることもない。同じ給料ならば、若年者よりも中高年者を雇おうというインセンティヴが会社に働くことにもなる。

ただこの職務給的な人事賃金システムでは、若年者失業が増加するというデメリットもあるのが問題となってしまう。

 

属人給的なシステムと職務給的なシステムの双方にそれぞれ一長一短がある。

労働市場では双方が並立して存在し、働く人たちが自分の適性や労働観・人生観に応じて選択できる柔軟なシステムにすれば多少は中高年者の就職難が緩和されるのではないかと思う。

また会社単位で考えても、出世ラインに乗って働く属人給的システムと出世ラインに乗らない職務給的システムとを並存させるような人事システムを採用する必要がある。

つまり、新規採用時には属人的な総合職で採用されても、途中で自分に合った職種が見つかり、幹部にならなくてもその職種で働き続けるということも可能なシステムを採り入れるのである。このような会社が多くなれば、中高年者の転職が現在よりは容易になると思う。

 

一つの会社で出世を目指して粉骨砕身働くという生き方・働き方のモデルは無理がある。

また、そのひとつのモデル・価値観を強いられる社会では生きづらさを感じてしまう。

人生のある時点で自分の生き方や働き方を見つめ直すこともあるだろう。転職はその際の選択肢のひとつである。

生き方や働き方を変えようとしても硬直化したシステムの下ではそれは難しい。

 

多様な働き方が認められて、自分に合った働き方が選択できるような社会にしないと、未来は暗いと僕は思う。 

僕は「愛国者」である件〈再掲〉

僕は愛国心を持っている。

それは自分が育まれた郷土、人々に対するものである。

国家に忠誠を誓うこととは似て非なるものである。

 

初出 2015/3/16

 

僕はこの国を愛している。

たとえ生き辛い社会であろうと、世間の同調圧力が強かろうと、その他不条理なことが多かろうとも。

生まれ育った故郷、青春時代を過ごした街には格別の思い入れがある。僕という人間を育んでくれた故郷、そしてこの国を愛おしく思っている。

 

愛国心とは郷土愛の延長線上にあるものだと僕は思っている。自分という人間を育んだ風土、人を無条件に受け入れ愛することが愛国心に繋がっていくと考えている。

立派な国だから愛するという訳ではない。たとえろくでもない国であっても、愛国心は育つものだ。

 

僕は国家が愛国心を強制することには断固として拒否する。教育によって愛国心を育んでいこうという流れには断固として反対する。

愛国心は教育によって刷り込みがなされるようなものであってはならない。国家の介入があってはならない。

国家が強要する愛国心は所詮はエスタブリッシュメントを守るという歪な目的のためのものに過ぎない。政財界の偉いさんのために命を懸けることなんて馬鹿げている。僕たちは愛する家族や隣人、故郷のためになら命を懸けてもいいと思えるのだ。

 

愛国心は自然発生的に芽生えるものがあるべき姿である。親から子へ語り継がれるもの、人と人との関わり合いの中で生まれてくるものである。

また愛国心をもてない者に対してもそれを認め、寛容であるべきものである。

 

僕は愛国者であるが故に、愛国心を殊更表に出す政治家を信用していない。その手の輩が言う愛国心に邪なものを感じ取るからである。彼らが言う「クニ」とは自分たちの利権・既得権が享受できるクニという意味でしかない。本当にこの国を愛しているのではなく、自分がいい思いができる国家形態を維持したいだけなのだ。おそらくこの手の輩は有事となった際にはいち早く逃げ出すだろう。

 

僕は愛国者だが、この国のエスタブリッシュメントを守るような「愛国心」など持ち合わせていない。もし、国を守るためにエスタブリッシュメントたちを差し出せと言われたら喜んで差し出す。為政者が変わっても、この国が守られるのならばそれでよい。これこそが庶民のリアリズムであり、庶民が持つ愛国心なのである。

僕の親や祖父母、親族、友人、生まれ育った故郷が守られればそれで十分なのである。

政治家や自称識者が強制しようとしている愛国心などクソくらえである。

 

愛国心を声高に叫ぶエスタブリッシュメントたちに告げる。

僕はお前たちの魂胆は見透かしている。

お前たちの声は全く心に響かない。

庶民をナメるなよ。

庶民をナメると痛い目に遭うぞ、と忠告しておく。 

人付き合いは悪くてもよい件

多くの世の人々の悩みの種は人間関係である。

仕事を辞める理由の大半は人間関係の悩みであるし、離婚にしてみても要は人間関係の縺れである。

この厄介な人間関係を少しでも良好にするために僕たちは人付き合いを重視する。

 

僕はこのブログで何度も人はひとりでは生きていけないと言ってきた。人と人との関わりあいの中で信頼関係が育まれ、それをベースにしてどうにかこうにか人は生きていくことができるとも書いてきた。

当然に人付き合いは大切なものである、という結論に行き着くことになる。

自己啓発系の本やセミナーはいかに人間関係を潤滑にするか、人付き合いをそつなくこなしていくかを説いている。

 

ちょっと待てよ、と例によって天邪鬼の僕は言いたくなる。

人付き合いが大切なのは十分に分かるけれども、それを金科玉条にしてもよいものなのか、と。

波長の合わない人と付き合うと疲れてしまう。説教をしたがるオヤジには絶対に付き合いたくない。同じ職場に勤めているというだけで、仕事以外の場で付き合うのはうっとおしい。

できることならば、自分と合わない人とは付き合いたくない。これが大半の人たちの本音である。

 

僕は働くようになってからは極力仕事以外での付き合い、飲み会や社員旅行には参加しないようにしていた。歓送迎会や忘年会・新年会といった必要最低限の行事のみに参加していた。それも一次会だけ出て、二次会には行かなかった。

結婚式にしても、学生時代の友人のものは二次会・三次会まで参加していたが、仕事関係の知人のものについては最低限の参加に留めていた。

 

人付き合いが悪いと確かに仕事に影響が出ることがある。上司や同僚の覚えも悪くなる。フリーランスの場合でも仕事をもらえなくなるケースも出てくる。

嫌々人付き合いをして仕事を取るか、人付き合いを取捨選択して自分の時間を大切にするかは、人それぞれである。僕は後者である。

 

僕自身の経験では人付き合いが悪くても、きちんと自分の仕事をしていればそれなりに依頼があった。まあ、もっともこれは「士業」だったからかもしれない。

 

僕は今は殆ど人付き合いをしていない。

イヤな奴とは同じ空間にいたくないし、同じ空気を吸いたくないからだ。どうせ付き合うならば、ちょっとでも分かり合える人と同じ時間を共にしたい。

嫌々する人付き合いで失うものと、取捨選択した付き合いで得られるものを天秤にかけてみて、後者の方がメリットがあると判断し、今の態度に終始している。また感情的にもイヤな奴と付き合わなくてもよいとなれば、とても気分が爽快になる。無駄な時間を過ごさなくてもよくなる。精神衛生上こんなに良いことはない。

 

人付き合いが悪くても、何の支障もなく過ごしていける。

気の置けない友人・知人との付き合いに限定しても、十分に暮らしていける。

 

僕の人付き合いの悪さは、僕があの世に逝くまでずっと続きそうだ。

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